インフォメーション 資料集 判決集 袴田ネットへ賛同を! 袴田事件とは! リンク集

被告人袴田巌に対する住居侵入・強盗殺人・放火被告事件

控訴審判決

東京高等裁判所

昭和51年5月18日言渡


理由目次

第1 本件発生後の捜査、捜査過程における被告人の勾留と自白の経緯、起訴罪名、原

審公判の推移、原判決の認定、控訴審の審理状況など ・・・・・・・  2丁

第2 判決書作成に関する訴訟手続の法令違反の主張について( 弁護人の訴訟趣意第

1点 ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4丁

第3 原判決の事実認定について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  5丁

1 争いのない事実 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  5丁

(1)火災の発生・結果、焼死体の発見 ・・・・・・・・・・・・・・・  5丁

(2) 殺害行為の存在 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  6丁

(3) 現金入り布小袋の紛失 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  7丁 2 争いのある事実

(1) 被害現場の油ようのものと工場の混合油の同一性

(弁護人の控訴趣意第3点、被告人の控訴趣意第22点)・・・・・・・・  8丁

(2) 殺害・放火の犯行状況、着衣当について(弁護人の控訴趣意4点、被告人の

控訴趣意第1、6、7、12、13、17点) ・・・・・・・・・ 13丁

(イ)雨合羽 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14丁

  (ロ) くり小刀 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15丁

  (ハ) 工場内の血痕付着 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16丁

  (ニ) 犯人の着衣・雨合羽 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17丁

  (ホ) 麻袋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19丁

  (ヘ) 着衣が味噌タンクに入れられた時期 ・・・・・・・・・・・・・ 19丁

  (ト) 犯人の右肩の傷 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21丁

  (チ) パジャマの血痕・油付着 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22丁

(3) 金員奪取行為の存在(弁護人の控訴趣意第5点の(1)、被告人の控訴趣意第 15、16点)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25丁

 3 成立する犯罪  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27丁

 4 本件犯罪事実と被告人との結びつき(弁護人の控訴趣意第5点の(2)・(3) 、第6点、被告人の控訴趣意第1ないし5、9、18、20、21、26点)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28丁

  (1) 端切れが発見・押収された経緯   ・・・・・・・・・・・・・・・ 28丁

  (2) 端切れと本件ズボンとの関係   ・・・・・・・・・・・・・・・・ 30丁

(3) 被告人が本件ズボンをはくことができたか ・・・・・・・・・・ 33丁

  (4) 緑色ブリーフその他の衣類   ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36丁

(イ) 緑色ブリーフ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36丁

   (ロ) その他の衣料類 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 39丁

  (5)清水郵便局で発見された現金入り封筒を被告人およ

び松下文子との関係  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40丁

(イ) 右現金と本件賍品との同一性 ・・・・・・・・・・・・・・・ 40丁

   (ロ) 筆跡鑑定および差出人について ・・・・・・・・・・・・・・ 41丁

  (ハ) 松下文子と被告人の関係など ・・・・・・・・・・・・・・・ 44丁

  (6)くり小刀の購入  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45丁

   (7) 被害者の右肩の傷と白半袖シャツの損傷との関係 ・・・・・・・・ 46丁

  (8) 被害者の左手中指の傷 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48丁

   (9) 被害者のアリバイ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51丁

第4 検察官調書の任意性について(弁護人の控訴趣意第

2点、被告人の控訴趣意第24、25点  ・・・・・・・・・・・・ 53丁

第5 検察官調書の信頼性およびその他注目すべき点につ

いて(弁護人の控訴趣意第7点、被告人の控訴趣意

第7、8、10、11、14、19、23点)  ・・・・・・・・・ 56丁

   (1) 動機等  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 57丁

(2) 雨合羽  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 59丁

   (3) 侵入経路、脱出口  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 59丁

  (4) 手拭の血痕  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 61丁

   (5) 現場の特異な状況  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 61丁

   (6) 被告人の金銭費消状況について ・・・・・・・・・・・・・・・ 63丁

(7) パジャマの血痕付着  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64丁

第6 結論  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64丁





昭和51年5月18日 宣告 裁判所書記官 川島 敏夫

昭和44年(う)第240号

判 決

本籍  静岡県清水市仲町42番地

住居  同県同市横砂651番地の1  王こがね味噌工場寮内

    (東京拘置所在監中)

元味噌製造工員  袴田 巌

         昭和11年3月10日生

右の者に対する住居侵入・強盗殺人・放火被告事件について、昭和43年9月11日静岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官猪口民雄、弁護人斉藤準之助、同上田誠吉、同福地明人、同服部正敬、同小沢優一各出席のうえ審理して次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

控訴の趣意は、弁護人斉藤準之助提出の控訴趣意書・同補充書、被告人提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、検察官藤井嘉雄提出の答弁書記載のとおうりであるから、これらを引用する。

控訴の趣意は、原判決書の作成および被告人の検察官に対する供述調書(自白を含む)に関する訴訟手続きの法令違反並びに原判決に対する理由不備・審理不尽・証拠に基づかない認定の違法等の主張に分けられるが、これらの主張については、まず本件の捜査、原審の審理・判決過程等を概観したのち、争いのない事実、争いのある事実、特に本件と被告人との結びつき、被告人の検察官調書の任意性・信用性の順序で判断するのが相当であると考える(ただ事案の重大性にかんがみ、弁護人の弁論要旨、証拠申請中の主張についても適宜判断を加えるとこととした)。

第1 本件発生後の捜査、捜査過程における被告人の勾留と自白の経緯、起訴罪名、原審公判の推移、原判決の認定、控訴審の審理状況など

昭和41年6月30日午前1時50分ころ静岡県清水市横砂の合資会社こがね味噌橋本藤作商店の専務取締役橋本藤雄の居宅で火災が発生し、ほぼ全焼した家屋の中から藤雄とその妻子3名の焼死体が発見されたが、実況見分等の結果死体には鋭利な刃物によると思われる多数の刺切創があり、しかも焼けこげたその着衣等に油臭があったほか、現金入りの布小袋が持ち出された疑いがあつたので、警察は強盗殺人・放火事件として直ちに捜査を開始し、現場の状況、遺留品、同居宅裏の同会社第一工場における血液反応等から、犯行は、その前後に工場に出入したことのある、会社の内情に詳しい者によって行なわれたものとの疑いを強め、会社関係者その他からの聞き込みをつづけた。被告人は当時会社の従業員で右工場内の従業員寮に寝泊りしていたものであるが、事件後食事が進まぬなど多少変わった様子がみられたうえ、事件直後左中指を怪我しており、押収されたそのパジャマから、他人の血液の反応が出たため犯人と疑われ、同年8月18日清水警察署に逮捕され、その後勾留された。被告人は身柄を拘禁されたのち捜査官に対しずっと犯行を否認していたが、9月6日司法警察員に、同月9日検察官にそれぞれ初めて自白し、同日住居侵入・強盗殺人・放火罪で静岡地方裁判所に起訴された。その後も被告人は、司法警察員および検察官に対し、一貫して自白し、10月7日の検察官の取調にさいしては、否認した理由、自白に至った動機・心境、現在の気持まで述べたのに、同年11月15日の第1回公判では、全く身におぼえのないことであると全面的に否認し、以後無罪を主張し今日に至っているのである。原審は、被告人の右供述調書全部を採用し取り調べたが、判決では9月9日付検察官調書1通の任意性を認めただけで、司法警察員調書28通については、連日平均約12時間に及ぶ密室内の取調等という状況から、任意性に疑いがあるとし、検察官調書16通については、公訴提起後の取調ということを理由に任意捜査とはいえないとしてこれらの調書の証拠能力を否定した。原審公判の推移をみて注目される点は、公判中の翌42年8月31日に工場の味噌タンク内から麻袋にまるめて入れられ、被害者らの血液型と一致する大量の血痕の付着したズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、スポーツシャツ、半袖シャツ等が発見され、これに関する従業員の供述などから被告人が被害者らに危害を加えるさい着用していたのはパジャマではなく、それらの衣類であると、検察官の主張が変更されたことである。弁護人はこれらの衣類は被告人のものではないと争い、特に緑色ブリーフについては犯行前後に被告人が着用していたものとして別個の緑色ブリーフを提出した。しかし原判決は、事件後工場の寮から被告人の実家に送り返された被告人の荷物の中に入っていたズボンの端切れが味噌タンクから発見されたズボンと同一生地で同じ切断面を持つとしてこれを被告人のものとであると断定し、また味噌タンクから出てきた緑色ブリーフも被告人のものである疑いが極めて濃厚であるから、麻袋内の衣類はすべて被告人のものと推断した。そしてさらに原判示各刺切傷が可能と鑑定されたくり小刀の刃が現場から発見されたこと、工場内の混合油約5.5リットルが持ち出されて死体に浴びせかけられていた形跡があること、被告人は以前親しくしていた元従業員の松下文子に7月11、12日ころ本件で入手した現金5万円を預けた旨捜査官に自供した(9月9日付検察官調書等)が、自供後の9月13日に清水郵便局で発見された差出人不明の清水警察署あての現金5万700円入りの封筒は筆跡鑑定等の結果松下文子の差出にかかるものと認められたこと、味噌タンク内から出てきた半袖シャツの右袖には損傷があり、この部分に内側からにじみ出た被告人の血液型と同じB型の血液が付着していたが、被告人の右上腕にもそれに対応する傷痕があったこと、また被告人には左手中指にも鋭い刃物でできた思われる傷があつたが、これについて被告人は前記検察官調書で被害者藤雄と格闘中に生じたものであると思う旨述べていること、被告人に当夜のアリバイがないこと等の事実をかかげて、被告人を犯人と断定し、死刑に処したのである。控訴審では、控訴趣意で提起された問題点を中心に、主として右の衣類が被告人のものか、被告人が松下文子に賍品である金を預けたか、工場内の混合油が放火に使用されたか、兇器と創傷との関係、自白の任意性等について証人尋問、鑑定、検証等の証拠調をし,37回の公判を重ねた。以上の経過自体については、別に争いはないと思われる。したがって問題は、本件について原判示のような犯罪が成立するといえるかどうか、被告人を本件の犯人と断じ得るかどうか、その認定過程に訴訟手続きの法令違反があるかどうかにある。

第2 判決書作成に関する訴訟手続きの法令違反の論旨について(弁護人の訴訟趣意第

1点)

所論は、要するに、原審は判決の言渡にさいし「本件捜査は被告人に対して連日10時間から14時間の長時間にわたって執ように自供を迫り、物的証拠に対する捜査をおろそかにした結果1年以上もあとに重大な証拠が発見された、こうした捜査方法は法の精神にもとり憲法38条違反の疑いもあり無法者同士の争いとして大いに批判され反省されるべきである」との趣旨を述べながら、判決書にはそのとおり記載されていないから原判決には有効な裁判書が作成されなかつた訴訟手続きの法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張する。

しかし、記録を精査しても原判決審の作成について所論のような事実があつたことを認めるに足りる証拠はない。かりに所論のような事実があつたとしても、原判決書11丁の「付言」には所論が法廷で言い渡されたという判決理由とほぼ同趣旨の記載があり、また刑訴規則35条2項によれば判決の宣告は主文の朗読と理由の要旨を告げるだけでもよいとされているから、この点が判決に影響をおよぼすこと明からな訴訟手続きの法令違反であるとは認められない。論旨は理由がない。

第3 原判決の事実認定について。

ここではまず当事者間に格別争いのない事実を一べつしたのち、争いのある諸点を逐次ひろいあげて論じ、原判決の認定に合理的疑いがあるかどうかを検討する。

1 争いのない事実

原判決が自白調書以外の証拠によつて認め得るとした諸事実のうち、次にかかげる事実については争いがなく、証拠上も疑いないと認められる。

(1)火災の発生・結果、焼死体の発見

昭和41年6月30日(以下特に「年」を表示しないときは「昭和41年」を示す)午前1時50分ころ、原判示こがね味噌橋本藤作商店(社長橋本藤作、現在では「株式会社王こがね味噌」と改組、以下単に「こがね味噌」あるいは「会社」と略称する)専務取締役橋本藤雄(藤作の長男、当時41歳)の住居で火災が発生し、間口9.15メートル、奥行き36.37メートルの木造平屋建瓦葺(南側の裏手が一部トタン葺)家屋をほとんど全焼して同日午前2時32分ころ鎮火した。鎮火後ほぼ全焼した建物の北側(表通り側)の8畳間の藤雄夫婦および長男の寝室から妻ちえ子(当時39才)と長男雅一郎(当時14歳、中学3年生)とが横になってかばいあうように抱きあつた状態の焼死体が、またその南側仏壇の間の南隣のピアノの部屋から二女扶示子(当時17歳、高校2年生)のうつ伏せになつた焼死体が、建物東側の通路兼物置の裏出入口近くから藤雄の仰向けになった焼死体が発見された。建物西側の住居部分と東側の通路兼物置場はいずれも焼毀程度が著しく、その中間に位置する勝手場は中央に寄るにつれて焼毀状況が弱くなつており、火源は別個のものと推定された。

(2)被害行為の存在

右各死体にはいずれも存命中他人に鋭利な刃物をふるわれて生じたと認められる多数の刺切創痕が存在した。即ち、藤雄には右側頭部・右前胸部・右側胸部に11個、右肩胛骨付近に4個の合計15個の刺切創、ちえ子には顎に1個、左背面の5個の合計6個の刺創、雅一郎には頭上部に切創2個、前頭部・前胸部に各1個の刺創、背部に3個の刺創、左手に3個の刺創、(防衛創と認められる)の合計10個の刺切創、扶示子には右側頸部から右乳房部にわたり4個、左乳房を中心に5個の合計9個の刺創があった。死因については、ちえ子は左胸壁貫通の刺創による出血および全身火傷(右側胸腹部による1、2度の皮膚火傷がある)、藤雄は右胸部刺切創・右肺刺創による出血(肺実質・肋間動脈の損傷やその程度、心房心室内に血液がなかつたことからほぼ失血死とみとめられるが、当審での上野正吉作成の鑑定書によると、背面・腰部に水泡の破れがあり、左臀部から左大腿部外側にかけて第3度火傷の面に樹枝状血管像がある所見からみて火傷時になお生存していた可能性がある。扶示子は前胸部・心臓・肝臓の各刺創による失血および全身火傷(臀部付近に1、2度の火傷がある)、雅一郎は右肺・肝臓の刺創、胸壁内に達する刺創による出血および全身火傷(胸壁部に紅斑を呈する1、2度の火傷がある)と認められた。なお上野鑑定書および当審での同人の尋問によると、被害者らはいずれも、受傷後10数分前後経過したあと身体が火につつまれ、瞬時にて死亡したものと推定された。現場および死体見分の結果、ちえ子の焼死体の頭部、各焼死体の着衣(ちえ子は下着メリヤスシャツ・寝まき、雅一郎は水色たて縞パンツ・白ワイシャツ・毛糸腹巻・白メリヤスシャツ、藤雄は白ズボン下・パンツ、扶示子はパンティ・ブラジャー)およびちえ子の死体の下にあった焼け残り毛布2枚、藤雄の死体の東側にあった男物パンツ・ボール紙6枚にいずれもガソリンよう臭気の存在することが確認された。

(3)現金入り布小袋の紛失

こがね味噌では集金員が集金してきた現金・小切手等は経理係が金額を確認したうえ集金員ごとに布小袋に入れ、それを店舗での売り上げ分の布小袋、会社印鑑入れ用の布小袋とともにじんきち袋(集金用手提袋)に納め、これを専務の藤雄が夜間自宅に持ち帰り、翌日そのまま会社に持ってくることになっていた。普段じんきち袋は仏壇の上あたりに一たん置かれたのち寝る時は8畳間の寝室内の夜具入戸棚の中に保管されていた。本件の前日藤雄は現金・小切手等の入った布小袋9個在中のじんきち袋を自宅に持ち帰ったのに、鎮火後調べたところ、夜具入戸棚の中にあったじんきち袋(東京高裁昭和44年押63号符号29、以下証拠物の番号は符号だけで示す)の中から水田義高集金分の現金8万4830円および小切手3枚在中の布小袋、青木淳集金分の現金3万6940円および小切手1枚在中の布小袋、池ノ谷寛集金分の現金8万2325円および小切手2枚在中の布小袋合計3個がなくなっていた。ただ同日午前5時30分ころ藤雄方裏出入口東側杭の外側コンクリート付近から水田集金分の布小袋(符号8)が、また午後2時ころ藤雄方裏出入口と鉄道線路との間の砂利石の中から青木集金分の布小袋(符号20)が発見された。しかし池ノ谷集金分の布小袋はついに発見されなかつた。なお水田集金分の布小袋の外側には血液型判定不能の人血が付着していた。

2 争いのある事実

(1)倒れていた藤雄らにかけられた油ようのものは工場内から持ち出された混合油であるかどうかについて(弁護人の控訴趣意第3点、被告人の控訴趣意第22点)

 所論は、原判決が工場内の三角部屋付近に置かれていた石油缶の中から持ち出された約5.5リットル(これは、5.65リットルの明らかな誤記とおもわれる)位の混合油が被害者らにかけられ、これに火が放たれたとの事実を認定してた点について、右工場にあつた出光石油系の混合油(出光系赤アポロガソリンと同系アポロバイクルブ潤滑油とが混合されたもの)は出光系販売店で一般に販売されていて誰でも容易に入手できること、右混合油の減少した日時・量および被害者らにかけられた油量が明確でないこと、石油缶に付着していたという血痕の血液型が不明であること、石油缶は消費者の間を転々としていてどこで誰の血液が付着するか予測できないこと、石油缶の蓋に血液がついていなかつたこと等に事実を指摘し、右石油缶の混合油が本件犯行のさい使用されたとはいえないから原判決には理田不備、審理不尽等があると主張する。また被告人は、従業員の大部分が知つていたように、減少していたのは、5.5リットルではなく1リットルくらいであると主張する。

 記録によれば、前示のように、ちえ子の焼死体の頭部、各焼死体の着衣、焼死体近くにあつた毛布・ボール紙・男物パンツにガソリン臭のする油よう付着物があったことは明らかである。またその付着物の成分中にすくなくともガソリンが存在することも北川式ガソリン検知管検査により証明されている(原審での篠田勤・角野勝明作成の昭和41年10月20日付鑑定書3(1)・(3)、以下単に「篠田鑑定」という)。問題は、右油よう付着物がガソリンと潤滑油の混合された「混合油」であるかどうか、混合油であるとしてもそれは工場内にあつた混合油(符号7の石油缶在中のもの)と同一成分のものであるかどうかにある。この点について篠田鑑定は、(イ)焼跡から発見された鑑定資料(1)、(2)の毛布(符号81、82)、(15)のボール紙(同83)、(16)の男子用パンツ(同84)のエーテル抽出液が昼光で緑色蛍光を呈し、これを減圧蒸留したところ極めて粘稠な在留液が認められたうえ(鑑定経過(1))、資料(3)ないし(13)の被害者4名の各着衣11点(符号85ないし95)をエーテルで抽出して得られた粘稠液も昼光で強い緑色蛍光を呈しており、これについてさらに、ガスクロマトグラフ分析試験を実施したところ、ガソリンの高沸点分および潤滑油の存在が認められたこと(同経過(3))から、右鑑定資料(1)ないし(13)の被害者の各着衣には混合油が付着していると認められるとし、(ロ)各資料の抽出油および工場内の混合油(資料(20))、各種市販のガソリン類(資料(19))についてガスクロマトグラフ分析試験(同経過(2)赤外分光分析試験(同経過(5))、蛍光分光分析試験等を行い吸収ピーク等を分析したところ、資料(1)、(2)の毛布、(15)のボール紙、(16)の男物パンツに付着する油質は、出光石油系赤アポロガソリンを同系アポロバイクルブ潤滑油との混合油と認め、資料(3)ないし(13)に各着衣に付着する混合油と同種混合油と推定し、資料(21)の工場内の混合油と同種混合油と認めるのが妥当であり、資料(3)ないし(13)の各着衣の混合油も工場内の混合油((21))と同種混合油と推定したことが明らかである。また原審で鑑定を命ぜられた阿部博は、毛布・ポール紙・焼け残り衣の大部分からは潤滑油ようの炭化水素を主成分とする油が検出され、それらの油は工場内の混合油中の潤滑油の成分と類似しもしくはかなり類似した油ではないかと思われると鑑定した(同人作成の昭和42年12月20日付鑑定書、以下「阿部鑑定」という)。当審では右篠田、阿部を鑑定人兼証人として尋問した(第7回公判)ほか、東京医科歯科大学医学部教授中沢泰男に対し篠田鑑定の鑑定経過によりその結果を合理的に導出できるか等について鑑定を命じ、その尋問をした。その結果鑑定人中沢は、着衣等の抽出油は火災という加熱や汚染を受け、時間も経過しているため変化し、対照資料の混合油と同一条件下におかれていないから分離・精製のを操作を経ずにこれを異同識別のために用いることは極めて限定された結論しか得られないとし、したがって、ガスクロマトグラフ分析以外の、なんの分離操作もしないで機器分析をした篠田鑑定は、いわば三までしかいえないところを十までいいすぎている結果になっている、しかし篠田鑑定の前示エーテル抽出油の検査の点をいう経過(1)、(3)については問題はなく、またガスクロマトグラフはこれ自体分離の過程を含むので問題はなく、その適用に妥当性が認められると結論した(同人作成の昭和46年12月2日付鑑定書、当審第15回公判での同人の供述)。

以上の鑑定、鑑定人等尋問の結果に徴すれば、焼跡から発見された被害者の着衣、毛布、ボール紙、男子用パンツに混合油が付着していたことは明らかであり、これが工場内の混合油と同じ成分である可能性は相当強いと認められている。しかし右中沢鑑定人の指摘するように篠田鑑定には前示のような問題点があるほか、記録によれば篠田鑑定中の分析して得られた数値の見方、グラフのピーク等の見方、評価については首肯しえない点があり、同人が当審で尋問されたさいにも弁護人の質問を受けて一部説明に窮した事情もうかがえること(なお当審での阿部、中沢の各供述参照)に徴すれば、これだけで直ちに工場内にあった混合油が焼跡から発見された着衣等に付着していたものというには問題がないではないが、次の諸事情をも合わせて考えると、右事実を十分に認めることができる。

(イ)工場内の混合油が約5.65リツトル減少していていたこと

 記録によれば、こがね味噌では釣舟用のモーターボートの燃料として混合油を使用していたが、本件発生の約1週間前の6月23日に従業員の佐藤健吾が釣りに行くため近所の田村石油店に混合油2缶を注文したこと(佐藤健吾の原審第8回、当審第3回公判での各供述)、田村石油店の田村浩敏は、普通ガソリン(出光興産赤アポロ)と普通オイル(コンドル40番)を20対1の割合で混ぜて作つた混合油を、十文字に縄をかけた18リツトル缶2個に各18リツトルづつ入れて同日こがね味噌に配達し、工場内の三角部屋の中の机の右側に置いたこと(同人の8月11日付司法巡査に対する供述調書)、佐藤は6月26日午前中釣りに行くとき右混合油一缶を持ち出して使い、同日午後専務の藤雄が釣りに行く予定になっていたので残りの一缶を三角部屋の前の黒板の下に出していたが、結局専務は釣りに行かず、27日に佐藤が見たときにも混合油一缶はそのまま置かれていたこと(右佐藤の各供述)、事件当日の午後1時ころ社長の車がガス欠ということで工場内のガソリンを探したさい、従業員の杉山雅信が三角部屋横の倉庫入口付近にあつた18リツトル入り缶を見つけ、佐藤らと一緒に中を確かめたところガソリンではなく混合油であり、約12リツトル位入つていたこと(右佐藤の供述、杉山雅信の7月9日付司法巡査に対する供述書)、混合油はモーターボート用に使用され、バイク等には使われていなかつたこと、佐藤は27日以降右混合油を使つた者がいるかどうかを多くの従業員に聞いてまわつたが使つた者は誰もいなかつたこと、警察官もこの点を全従業員に確かめたが同じ結果であつたこと(右佐藤の各供述、司法警察員北条節次・司法巡査安本芳雄作成の7月8日付、8月10日付各捜査報告書)、7月4日任意提出された右混合油の残量は正確には12.35リットルであつたこと(右佐藤の原審供述、同人作成の7月4日付任意提出書)等が明らかである。以上の事情を総合すれば、6月27日以降犯行当日までの間に18リツトルの混合油の入つた石油缶から使途不明の混合油約5.65リツトルがなくなっていたものと認められる。被告人は、会社の従業員らの間で混合油が約1リツトル減つていたという話が出ていたというが信用できない。

(ロ)工場内の混合油の石油缶に人血が付着していたこと

記録によれば、8月11日右工場内にあった混合油の石油缶(符号7)について、ルミノール検査を実施したところ4か所から蛍光発光が認められ、2回にわたりガーゼでこの部分の付着物を採取して鑑定したところ、1回目は缶側面の2か所から、2回目は1か所から人血付着が認められたが、血液型は不明であつた(司法警察員鳥居信夫作成の8月11日付、同月16日付各捜査報告書、同人および司法警察員富安要の原審第11回公判での各供述、鈴木健介作成の8月25日付、同月30日付各鑑定書。なお清水警察署長作成の8月12日付、同月16日付各鑑定嘱託書)。そして右石油缶は田村石油店が同年2、3月ころ古物商から入手してよく洗い、塗料をぬり、普段はボロ布で拭いて使用してもので,石油店側で血がつくことはありそうもないし(田村利作の8月21日付司法警察員調書)、また納品後本件までの間に人血が付着する可能性はほとんどないと考えられる。

(ハ)被害者宅には混合油が存在した形跡はないこと

記録によれば、被害者方の検証のさいに発見されたのは通路の便所前にあつた4リツトル石油缶(符号7)だけで、これに入つていたのは工業用ガソリンと判定された(司法警察員春田竜夫作成の8月8日付、同黒柳三郎作成の7月20日付各検証調書、前示篠田鑑定)。また被害者宅で混合油が本件前に使用されていた形跡はない。

(ニ)工場との関連

記録によれば、工場と被害社宅裏出入口とはわずか31.8メートルの距離にあることや後記のような工場の味噌タンクからの着衣の発見、工場にあつた雨合羽の使用等の事情に徴すると、犯人は会社・工場に関係のあるもので、被害者らを刺切傷したのち、工場内の入口に近い三角部屋付近にあつた混合油を持ち出しこれを放火にした蓋然性は大きい(犯人が刺傷前からあらかじめ放火を考えて工場以外の場所からわざわざ混合油を準備して持つてきたのち本件刺傷におよんだと考えることは極めて不合理と思われる)。また工場内にはクリーム色の味噌用のポリ樽(符号62と同種のもの)が多数あつたが、被害者宅用の通路に相当する場所から同質(ポリエチレン製)、同色でこれが焼けとけたと思われる破片が発見されており、工場内のポリ樽に混合油を入れて運んだ形跡もある(司法警察員北条節次作成の9月23日付検証調書、原審第5回公判での同人の供述、同第13回公判での証人山西勝太郎の供述、前示冨安要の原審供述、なお篠田勤・角田勝明作成の11月21日付鑑定書、清水警察署長作成の10月14日付鑑定嘱託書)。

以上のとおり、原判決が罪となるべき事実の認定に供した各証拠を総合すれば、工場内の混合油が約5.65リットル持ち出され本件放火の用に供されたという原判決の認定は十分肯認できる。原審で取り調べたその他の証拠および当審での事実取調の結果に徴してもこの認定に格別不合理な点はなく、原判決に所論のような誤りはない。論旨は理由がない。

(2)被害・放火の犯行状況、着衣等について(弁護人の控訴趣意第4点、被告人の控

訴趣意第1、6、7、12、13、17点)

所論は、原判決が犯人は工場内味噌タンクから発見された各衣類(符号96ないし100)を身につけ、その上に工場内にあつた雨合羽(符号5)を着てくり小刀(符号4)を持ち被害者宅の土間に到り、くり小刀を鞘(符号6)から抜いて鞘を雨合羽の右ポケットに入れ雨合羽を土間に脱ぎすて、被害者4名を右くり小刀で突き刺し、これを扶示子の死体の近くに落して逃げた、犯人は血液のついた右着衣を着たままくぐり戸から工場内に入り、風呂場等を歩いた、犯人は犯行時点から右着衣を脱ぐまでの間に右肩に傷を負つて出血した、その血液型はB型である、その後犯人はパジャマ(符号1)に着がえて三角部屋付近にあった石油缶から混合油を持ち出し放火に使用したとの事実を認定した点について、論理法則に従わない飛躍があり、仮説に類することがらを証拠によらないで認定したもので、事実誤認、理由不備等の法令違反があると主張する。

しかし以下に順次検討するように原判決の右認定は相当であつて、原判決に所論のような誤りがあるとは考えられない。

(イ)雨合羽

所論は、原判決が津村剛の検察官調書2通により藤雄が6月29日の夕方帰宅にさいし雨合羽(符号5)を着用していなかつたと認めた点について、右証拠ではこれを確認できないから理由に食い違いがあると主張する。

たしかに所論のとおり、津村の検察官調書2通(9月29日付抄本、10月2日付)だけでは右の点を認定するに足りないが、原判決が罪となるべき事実の認定に供した証人水野庄次郎、同水田義高の各供述を考えあわせれば、本件雨合羽(水田が使用していたもので被害者方中庭の勉強部屋寄りの土間から発見されたもの)は6月28日水田が使用して工場内の寮の下の脱衣室か三角部屋の机の上に置いたこと、藤雄は6月29日午後6時ころ津村が退社した時にはまだ事務室にいたが、当日は天気がよかつたし、同人は雨降りでも雨合羽を使用することはなかつたこと等の事実が認められる。したがつて藤雄は本件の前夜も帰宅にさいし雨合羽を着用しなかつたと認めるのが相当である。論旨は理由がない。

(ロ)くり小刀

所論は原判決が被害現場から発見されたくり小刀(符号4)の先端が切損している事実つまり鋭利性を否定する事実を認めながら、他方で被害者らの刺創はいずれも「鋭利な刃物」による傷であると認定しているが、折損の時点を明らかにしないまま兇器が右くり小刀であると認めたのは理由にくいちがいがある、また1本のくり小刀であれだけの刺殺傷ができるが疑問であり、審理が尽くされてないと主張する。

 押収されている全長17.2センチメートル(以下「センチ」という)、刃長12センチ、刃巾2.2センチのくり小刀(柄と鞘のないもの)(符号4)の先端が約1センチ内外折損していること、その折損の生じた時期については火災前という以外不明であること(当審内藤道興作成の昭和50年2月25日付鑑定書、原審第15回公判での証人井上吉和、同寺口行雄の各供述)は明らかである。しかし折損しているといってもその形状は依然かなり尖鋭なものであるから、これを「鋭利なもの」といつてもさほど不自然とは思われない。兇器として使用する過程で折損したとみる余地もある。原審各鑑定でも本件くり小刀のような片刃の尖鋭な刃器が本件の兇器であるとされていたが(鈴木俊次作成の9月6日付、山下英秋作成の7月25日付、同月28日付鑑定書)、当審での上野鑑定によれば本件くり小刀は本件成傷器として格好なものと考えられ、この種の刃器1本で各被害者の傷は生成可能であるとされ、この点は内藤鑑定でも支持されている(同鑑定は本件くり小刀の先端が折損していることを前提にしている)。また原判示のとおり、被害者の刺切創の状態や右くり小刀が扶示子の焼死体の近くから発見されたこと、犯人が遺留したと認められる雨合羽の右ポケットに刃体と完全に合致する鞘(符号6)が入っていたこと(製造元では鞘は刃体に合わせて1本1本作るという、山田才一の司法巡査調書、宮本義男の司法警察員調書、原審第15回公判での証人寺口行雄の供述)、刃体から血液付着の事実は確認されなかつたが、これは火災時の高温によって血液が炭化した結果と思われること(原審第13回公判での証人漆畑康徳の供述)、被害者宅にはこのようなくり小刀はみられなかったこと(原審第13回公判での証人橋本登美子、同山西勝太郎の各供述)等に徴すれば、本件の兇器は右くり小刀であると認めるに十分である。原判決に所論のような誤りはない。論旨は理由がない。

(ハ)工場内の血液付着

所論は、原判決が工場の出入口のくぐり戸付近、三角部屋奥の排水溝の横の板壁、風呂場の腰板にルミノール陽性反応があったことから、味噌タンク内で発見された血染めの衣類を着ていた犯人がくぐり戸から工場内に入り風呂場等を歩いたと認定している点について、ルミノール陽性反応を示すに至った原因事実、その時点等の結びつきが明らかにされないまま本件と関連あると認定したのは審理不尽、理由不備であると主張する。

しかし記録によれば、工場内の6ヶ所にルミノールの陽性反応が認められ、その血液鑑定をしたところ、工場浴室板廊下西側トタン壁にA型、浴室内南側トタン壁および事務所階下至る三角部屋奥の排水溝の横の壁から若干A型の傾向のある型不明の人血の付着が認められたこと(原審第11回公判での証人寺田勇太郎の供述、同人作成の7月30日付実況見分調書、鈴木健介作成の8月3日鑑定書)、原判決はこれらの事実から直ちに所論指摘の事実認定をしているのではなく、被害者らに多数の刺切創があり、味噌タンクの中から発見された衣類に被害者の血液型と一致する多量の血痕が付着していたことや三角部屋奥の西側の境にある排水溝(前記人血付着箇所の付近)の中からAB型の人血付着の手拭(符号3)が発見されたこと等の事実をも総合したうえで右認定をしたものである。右推認の過程、結論に何ら不合理な点はない。論旨は理由がない。

(ニ)犯人の着衣、雨合羽

所論は、原判決が犯人は味噌タンク内から発見された衣類および雨合羽を着用していたとの事実を認定した点について、犯人が当時これを着ていたという目撃者がないこと、これらがどんな経緯でそれぞれの発見場所に存在するに至つたかを明らかにする証拠がないこと、特に着衣類は事件から1年以上を経て現場と異なる工場1号タンク内から発見されたものであること等の事実を指摘し、右衣類に損傷や血痕付着が認められるというだけで本件と関連があるとは認定できない、犯人の偽装工作も考慮外に置くべきではない、原判決がこれらの点を無視して漫然前示認定をしたのは証拠に基づかない全くの仮説であり、原判決には審理不尽、理由を付さない違法があると主張する。

 しかし原判決も説示するように、本件兇器と認められるくり小刀の鞘が被害者宅中庭で発見された雨合羽のポケット内にあったこと、雨合羽は水田が使用していたもので6月28日同人が工場内の三角部屋か脱衣室に置き、その後同人も藤雄も使用した形跡がないこと、雨合羽に一部焼けこげが残つていたこと等の事情を総合すると、犯人は本件火災発生前に右雨合羽を着用して被害者方中庭に立ち入ったと推認するのが合理的である。また工場の味噌タンクから発見された衣類には下着にいたるまで多量の、しかも被疑者らの血液型と一致するA型、AB型、B型という複数の人血が付着していたこと、ズボンの左右全面、スポーツシャツおよび半袖シャツの右上部に損傷があり、しかも半袖シャツの右損傷部分には内側からにじみ出て付着したと認められる人血(B型)が付着していたこと、右衣類は本件後1年以上たった42年8月31日に味噌出しをしていた従業員によって発見されたとはいえ、発見場所は1号タンクの底から約3.5センチメートル(司法警察員春田竜夫作作成の昭和42年9月4日付実況見分調書)のところにあり、事件後の41年7月20日に新しく味噌を仕込んだのちはタンクの底部にこれらの衣類をかくすことはほとんど不可能と思われること、工場は前示のように被害者宅裏出入口から約31.8メートル、タンクは工場入口から約21.7メートルはなれたところにあって(右実況見分調書)、犯行現場に近いこと、その他記録を検討しても本件と関係なくこのような場所にこのような血染の衣類が入れられたことをうかがわせる出来事は全く認められないこと等を総合すれば、タンクから発見された衣類は犯人が本件刺切傷の犯行時にこれを着用していたものと認めるのが相当である。また以上の状況に、雨合羽には血痕付着がみられず、その下に着ていたと考えられる衣類に大量の血痕が付着していたこと、くり小刀の鞘にも血液付着がみられられないこと(司法警察員春田竜夫作成の7月6日付実況見分調書、押収してある符号6の鞘)等の事情を総合すれば、原判示のように犯人は被害者宅中庭に雨合羽をぬぎすてたうえ(その雨合羽のポケットにはくり小刀の鞘が入っていた)、本件刺切傷におよんだものと認められる。原判決に所論のような誤りはない。論旨は理由がない。 (ホ)麻袋

所論は、血痕付着の衣類が入っていた麻袋(符号102)は工場倉庫内に保管されていたものであるとの原判決の認定について、同種のものはほかにも存在しているから麻袋が1枚減少している事実あるいは他の同種のものとは異なる特殊性も究明されないまま右のような認定をすることは審理不尽で理由不備であると主張する。

 しかし原判示のように工場内に本件麻袋と同種類の麻袋が多数存在していたが、発見された場所が同じ工場内のタンク内であること、通常の家庭ではこのような内地産大豆の4等品の印の入った特殊な麻袋(現判決のかかげる前示春田作成の昭和42年9月4日付実況検分調書)を使用するとはほとんど考えられないこと、危険をおかしてわざわざ他所からこのような麻袋を持ってきてタンク内に入れるとう可能性はきわめて低いと思われること等に徴すれば、所論のような点を究明することなく原判示のような事実を認定しても必ずしも審理不尽、理由不備とはいえない。論旨は理由がない(なお当審での証人望月倶輔の供述によれば、原審で被告人のいうように本件当時本件のような麻袋が工場の奥の倉庫にまとめて置かれていたほか工場内の各所にだされていたことが認められるが、この点は本件犯罪事実の認定を容易にこそすれ、認定を妨げるものではない)。

(へ)着衣が味噌タンクに入れられたのはいつか

 所論は、原判決が前示麻袋および衣類が昭和41年7月20日以前に工場1号タンクに入れられていた旨、また清水警察署の捜査官は同年7月4日令状に基づいて工場内を捜索したさい、右タンク内の捜索をしなかった旨認定している点について、当時同タンク内の味噌の残量は底から15センチ位しかなく右衣類を隠すことは不可能な状態であったし、かりにその中に隠されていたとしても7月20日の味噌の仕込みまでには他の従業員によつて発見されないはずはないから、原判決の右認定は重大な事実の誤認で明らかに判決に影響すると主張する。

 しかし前示のとおり7月20日タンクに新たに大量の味噌が仕込まれてからは底から3.5センチの底部に本件衣類等を隠すことはほとんど不可能であると思われること、清水署は7月4日の捜索のさい会社の要請により会社に損害を与えないため味噌の入つた1号タンクは上から点検しただけで味噌の中までかきまわして調べなかったこと(原審証人富安要、当審証人柏森光衛の各供述)、麻袋は通路からみて左奥隅の壁際の味噌の中に埋もれていたが(前示春田作成の実況見分調書)、6月30日ころ1号タンク内には相当量の味噌が残つており、内壁部付近、特に奥の方には2、30センチ位まで残っていた可能性があること(原審18回公判での証人望月倶輔、同松村喜作、同岩崎和一、当審第12回公判での証人岩崎和一の各供述)、6月30日以後味噌を出した可能性はうすく、捜索のさいにもタンク内には半分より少なかつたがなお相当量の味噌が入つており(右望月、岩崎、富安、柏森の各供述)、前記のような捜索方法では味噌の中に麻袋がかくされていても発見できないこと、犯行前後ころ味噌すり役は水野源三と被告人で、タンクに入つて味噌を出すのは主として被告人の担当であったこと、人手の足りないときは被告人も仕込みを手伝うことがあり、7月20日の1号タンクへの仕込みのさいにも被告人がタンク内で味噌を踏んだ可能性があること(以上市川進の8月4日付司法警察員証書、右望月、岩崎の各供述、原審第17回公判での証人水野源三、当審第12回公判での証人増川行男の各供述)、また仕込む前にタンクの中を掃除するとはかぎらず、7月20日1号タンクに仕込むさいにも残つた味噌の上に仕込んだものと思われること(右岩崎の原審供述等)等が認められ、これらの事情を総合すれば、衣類の入つた麻袋が本件の直後にタンクに入れられた蓋然性は大きく、そうだとしても麻袋が底部に入れられた点等から見て、7月4日の捜索、7月20日の仕込みのさいに発見されるおそれは小さかつたと思われる。論旨は理由がない。

(ト)犯人の右肩の傷

 所論は、原判決が味噌タンク内から発見された着衣類の多数の損傷とB型血液の付着から犯人は犯行から右着衣類を脱ぐまでの間に右肩に傷を負つて出血したと認定した点について、このように推測すべきものとすると着衣類の血痕や損傷は右肩以外の場所にも存在しているから犯人は右肩以外にも傷を負っている者であるということになる。したがって犯人が右肩だけに傷を負っている者であるかのような認定は、判決に影響を及ぼすこと明から事実誤認であると主張する。

しかし原判決が犯人は右肩だけに傷を負っていると認定したのではないことはその説示に徴し明らかである。原判決は、犯人が着用していたと認められるネズミ色スポーツシャツ(符号98)、白半袖シャツ(符号97)の右肩(右袖上部前面)の部分に損傷があること、白半袖シャツの損傷部分は直径2.5および3ミリメートルの丸型の近接した2個の穴で、これらを中心に内側から表にしみ出た状態で5×2.5センチの範囲に血痕が付着していたこと、この血痕はB型であること等から、すくなくとも犯人は右着衣を脱ぐまでの間に何らかの原因で右肩に傷を負つて出血したことおよび犯人の血液型はB型であることを認定するにとどまり、他の部分の受傷には言及していないのである(なおタンクから発見された鉄紺色ズボンの左右前面に数か所の損傷があり、これに相応するように被告人に右下腿中央から下部前面にけて打撲擦過痕があったことは後述のとおりである)。原判決に所論のような誤りはなく、論旨は理由がない。

(チ)パジャマの血痕・油の付着

 所論は、原判決が被告人の部屋から押収したパジャマ(符号1)に血液および油が付着していたということから犯人は前示着衣を脱ぎ被告人のパジャマを着て工場内に石油缶から混合油を持ち出して放火に使用し、7月4日にはこのパジャマが被告人の部屋に置かれていたと認定した点について、被告人が事件当日ずぶぬれの右パジャマを着て消火していたことおよびその後洗濯されていることは明らかであるからパジャマに血液・油が付着していたとの認定は実験則に反する。しかもパジャマは事件後数日たつて押収されているから、かりに血液や油が付着していたとしてもその間パジャマの取り扱い等本件との関連を深く究明しないで右事実を認定したのは審理不尽、理由を付さない違法、証拠に基づかない違法があると主張する。また弁護人らは被告人のパジャマには血液および混合油は付着していない、控訴審での鑑定等の結果原審での篠田鑑定の信用できないことが明白になつたと主張する。

所論の指摘するように本件火災当時被告人が頭からずぶぬれになつており、鎮火後風呂場で本件パジャマ上下(符号1)を洗濯したことは被告人も認めており、関係者の供述に徴しても疑いない(原審第28回および当審第2回公判での被告人質問、原審第3回公判での証人佐藤省吾、同第4回公判での証人佐藤文雄、同第6回公判での証人岩崎和一、同第8回公判での証人水野庄次郎の各供述)。しかし記録によれば7月4日の工場内の捜索のさい従業員寮の被告人の居室にあつた右パジャマには肉眼では血痕とは認められなかつたものの左ポケット下付近にわずかな付着物があつたこと(司法警察員森田政司作成の7月4日付捜査報告書)、被告人から右パジャマ上下を任意提出してもらいルミノール検査をしたところ右肩のカギ裂き部分、左ポケット、一番下のボタン穴のやや左上方部分、ズボンの左腰やや後側、右膝、そのやや上方の部分に特異な蛍光反応があり、さらにベンチヂン反応試験、抗人血色素血清を用いての人血反応試験、凝集素吸着試験を施した結果、上衣左胸ポケットの部分にAB型の、ズボン右膝の部分にA型の、上衣の左前面下側およびズボン左腰の部分に血液型不明の人血の付着が確認されたこと(原審第11回公判での証人岩本広夫、同鈴木健介の各供述、鈴木健介作成の7月18日付鑑定書)が明らかで、洗濯したからといつて付着した血液が必ずしも検出されなくなるものではないことに徴すれば、原判示のように被告人のパジャマに被告人の血液(B型)以外の人血(A、AB 型)が付着していた事実を認めるに十分である。

また前示篠田鑑定書によると、パジャマのエーテル抽出液について自記分光光度試験、蛍光分光分析試験、赤外分光光度試験、ガスクロマトグラフ分析試験をし、工場内の混合油、市販の混合油、被害者の着衣等に付着していた混合油等の分析結果と比較検討したところ、パジャマ抽出油の中にはガソリンの高沸点分および潤滑油の存在、すなわち混合油の存在が認められ、その混合油は工場内の混合油、被害者らの着衣および焼死体付近に残っていた毛布・ボール紙・男子用パンツ等に付着する混合油と同種のものであると推定されると結論している。ただ既に述べたとおり当審での中沢鑑定によると篠田鑑定の経過・結果には一部問題があり、限られた範囲でしか信頼できないというのであり、これはパジャマについてもあてはまるから、篠田鑑定、特に混合油の種類に関する部分はそのまま採用するのは困難というほかない。しかし他方中沢鑑定によっても篠田鑑定のガスクロマトグラフ分析についてはその方法はまことに適切で十分に信頼できるというもので、その結果得られたガスクロマトグラフィのチャート(当審では分析の結果得られた現物チャート8枚が提出され、これを前提に検討している、符号119)中のピークの出方自体を見れば、他の抽出油のそれと比較しなくても、ガソリンの高沸点分および潤滑油成分の存在は十分に認められるというのであるから(当審第15回公判での中沢供述、記録24冊1208丁、1222丁、当審第7回公判での篠田供述記録24冊669丁参照)、右パジャマに種類はともかく混合油が付着していたことは疑いない。パジャマには混合油がついていなかつた旨の所論は採用できない。中沢鑑定は篠田鑑定が工場の混合油と被害現場の混合油との同一性を認めたのは相当でないといつているもののパジャマの混合油と被害現場の混合油・工場内の混合油とが別の種類であるとまでいつているのでないことに注意を要する。また原審での前示阿部鑑定書(昭和42年12月20日付)によれば、パジャマからはガソリンとか潤滑油のような鉱物性の油は検出されなかったが、これは阿部鑑定は先に実施された篠田鑑定によりほとんど抽出検査された部分を再度検査したためか、両鑑定のパジャマの検査部分は全く同一ではないところパジャマの油質付着部分が部分的であつた可能性あるいは日時の経過による変化等によるものと思われるから(両鑑定書添付のパジャマの検査部分の写真、当審中沢・阿部各供述参照)、特に異とするに足りない。なおタンクから発見された着衣類に何ら油質(鉱物性の油)のものの付着していた形跡がないこと(前示阿部鑑定)、被告人のパジャマは本件の4日後同じ工場内の寮の被告人の部屋で発見・押収されたものであるが、被告人自身本件発生の前後に自分のパジャマに血痕や油質が付着するような機会はなかつた旨述べていること(原審第29回公判)等の事情に徴すれば、犯人は被害者を刺切傷したのち被告人のパジャマに着がえて工場内の混合油を運び放火におよんだもの(但しいつ、どのようにして着換えたかは不明である)との原判決の認定は十分肯定できる。論旨は理由がない。

(3)金員奪取行為の存在について(弁護人の控訴趣意第5点の(1)、被告人の控訴趣意第15、16点)

所論は、原判決が犯人は金袋3個を窃取または強取し、その後2個の金袋を裏出入口近くに落し、残り1個の金袋(現金8万2325円)を持つて逃げたとしたことについて、右金袋は火災発生後相当時間を経過して消火活動の人々が大勢立ち働いていていた場所である被害者宅裏口付近で発見されたものであり、火事騒ぎにさいし何人かが金袋を持ち出さないとも限らないから、漫然被害者を殺害した犯人が金袋を窃盗または強取したと認めたのは証拠に基づかない事実の認定であると主張する。

しかし記録によれば、前示のように本件前日の夕方藤雄が会社から持ち帰った布小袋9個在中のじんきち袋は保管場所の寝室8畳間の夜具入れ戸棚の中にあつたが、その中の布小袋3つが紛失しており、2つは鎮火後裏口付近から見つかつたものの1個はついに発見されるに至らなかったこと、右布小袋在中の金員は翌日会社の経理係が改めて計算し銀行等に預け入れるなどの処理をすることになつており、藤雄が翌朝会社に持つてくる予定のものであつたこと、記録上消火騒ぎに乗じて犯人以外の者が住居内に入り夜具入れ戸棚の中のじんきち袋の中の現金入りの布小袋をとり出すような状況は全然うかがわれないうえ、じんきち袋の片方の側面(置かれていた状態で表面の部分)はほとんど焼失し、中の布小袋にもこげあとがあり(春田作成の8月8日付検証調書、符号29ないし34)、消火騒ぎにまぎれて3つの布小袋を持ち出すとすれば、当然じんきち袋の表面の焼失部分から手をつけて上部の焼けこげのある布小袋を持ち出すのが自然と思われるのに、犯行後発見押収された布小袋2つにこげの跡がなく(黒柳作成の7月20日付検証調書、符号8、20)、またじんきち袋の上部の締め紐はゆるんでいて放火前に開けられた形跡があること(同検証調書)、火事騒ぎに乗じてわざわざ持ち出した者が布小袋を2つも落していくとは考えにくいし、その者が持ち出し落した袋ならこれに血が付着していた(鈴木健介作成の7月18日付鑑定書)説明に窮すること、普段は土間の茶ダンスか机の引出しにしまつてあつた大きなビニール製ガマ口(符号36)がかなり離れた通路兼物置の裏出入口付近で発見されたが、上面は焼けとけ下面は土間のコンクリートに接して焼けていなかつたという状況(右黒柳作成の検証調書、橋本昌子の8月28日付検察官証書および8月5日付司法警察員調書、原審第7回公判での証人橋本登美子、同山西勝太郎の各供述)に徴し、右ガマ口も本件火災発生前に何者かの手により持ち出されて発見場所に落ちていたと考えられること、被害者宅の仏壇の飾り棚および3つの引出しが全部引き出されたまま焼けこげているのが本件後判明したこと(右春田作成の検証調書)等の事情に徴すると、紛失した布小袋3つは本件犯行のさい犯人がこれを持ち出し(窃取または強取)、うち2個を何らかの事情で裏出入口付近に落していつたものと認めるのが相当である。論旨は理由がない。

3 成立する犯罪

以上の争いのない事実、争いのある事実についての判断を総合すれば、被害者4名はいずれも被害者宅に押し入った犯人によって身体各所を刺切傷されて瀕死の重傷を負い、その直後混合油を浴びせかけられたうえ居宅もろとも放火されて殺害されたことが明らかである。また被害者宅から現金等在中の布小袋3つが右犯人により持ち出されていること、犯人は最初からくり小刀を携えて立ち入つているとみられること(家人に発見された場合に備えて鞘から抜いて持つていつたとしても不合理ではない)、藤雄の死体が寝室からかなり離れた裏出入口近くの通路兼物置で発見されていること、被害者らに他人から恨まれて殺害されなければならないような事情はうかがわれないこと、その他死体や殺害・放火の犯行状況当に徴すると、本件は単なる怨恨によるものではなく、会社の内情にくわしい犯人が当初から財物奪取の目的で被害者宅に立ち入つたところ、家人に発見されたため居直つて藤雄と格闘し同人ら4名を刺切傷した後、工場内の混合油を持ち出して住居もろとも焼毀し、そのさい布小袋3つ(現金合計20万4095円、小切手6枚等在中)を強取したと認めるのが相当である。したがって犯人は住居侵入・強盗殺人・現住建造物等放火の罪を犯したものと考えられる。

なお以上の状況だけによつても、犯人は被告人でないかとの疑いを生ずるが、被告人が犯人であると断定するには、さらに次の諸点を検討しなければならない。

4 争いのある事実特に本件犯罪事実と被告人との結びつきに関係ある事実について(弁護人の控訴趣意第5点の(2)(3)、第6点、被告人の控訴趣意第1ないし5、9、18、20、21、26点 )

所論は、現判決は被告人が犯人である蓋然性は極めて高いと判断し、被告人を有罪としたが、その判断の有力な根拠とされた諸状況には、種々の疑問があるから、原判決には審理不尽、理由不備、事実誤認があると主張する。

そこで所論の問題とする諸状況を各項目ごとに検討する。

(1) 端切れが発見・押収された経緯

所論は、被告人の部屋にあった荷物を荷造りしてその実家に送付した佐藤健吾、佐藤省吾、松浦光男および実家の袴田ともの原審公判における各供述の1部をとらえ、端切れ(符号103の端布、以下単に「端切れ」という)が押収された経緯についての原判決の認定には疑問があると主張する。

記録によれば、工場内の味噌タンクから犯行に使用された衣類が発見されてから12日後の昭和42年9月12日清水警察署が静岡県浜北市中瀬の被告人の実家を捜索したところ、同日午前8時50分ころ同家奥6畳間北側整理ダンス上段の向かつて右側小引出内に本件端切れがあるのが発見され、被告人の母袴田ともがこれを任意提出したこと、その発見場所は当時写真にも撮られていること、袴田ともはその5日後浜北市中瀬の駐在所で検察官に事情をきかれたさい、「前年の九月末ごろ会社から送ってきた被害者の荷物の中に黒つぽい喪章のようなものが入つていたので喪章かなと思つてベビーダンスの引出しの中にしまつておいた、先日家宅捜索にきた刑事がこれを見つけて持つていつた」旨述べ、一旦署名指印したあとさらに、「刑事がきたとき家にある洋服やズボン等を全部調べたが、同じような色の生地のものはなかつたので喪章のような黒つぽい布は前から家にあった生地ではないことは確かです」とまで付け加えて供述していること等の事実が認められる(原審第29回公判での証人松本久次郎の供述、司法警察官岩田竹治作成の昭和42年9月12日付証拠品発見報告書、袴田とも作成の同日付任意提出書、司法警察員松本久次郎作成の同日付領置調書、袴田ともの同月17日付検察官調書)。所論指摘のとおり、たしかに同女は原審第24回公判では、黒つぽいズボンの端切れは警察が捜索にきて引出しの中にあつたといつて自分に見せたとき初めて見た、自分がこがね味噌からきた荷物から出して引出しに入れておいた覚えはなく、また警察にそのように話した覚えもない旨供述している。しかしこの供述は、あいまいで前後一貫していないだけでなく、その立場、供述の時期等に徴し、そのまま信用することはできない。しかもそのさい同時に同女は、検事には記憶にもとづいて正直に述べた、その調書は読んできかせてもらい間違いないと承認して名前を書いた旨証言しているのである。また原審第18回公判での証人佐藤健吾、同佐藤省吾、同佐藤文雄、同松浦光男の各供述によると、同人らは、被告人の布団・衣類等を荷造りして被告人の実家に送り返すさい、本件のような端布れがあつたかどうかについては明確な記憶はないが、被告人の使用していたタンスの引出しは他の者の使用していた引出しとは別ではつきり区別できたから、他人の物がまぎれ込むおそれはほとんどないし、その後もそのような間違いには気がつかなかったというのである。以上の事情に徴すれば本件端切れが発見されるに至つた経緯は明確であって、右端切れがこがね味噌から被告人に実家に送られた荷物の中にあり、これが被告人のものであることは間違いないと考えられる。論旨は理由がない。

(2)端切れと本件ズボンをの関係について

所論は、原判決が端切れを工場内の味噌タンクから発見された鉄紺色ズボン(符号99、以下単に「本件ズボン」または「ズボン」という)の共布れであると認め、後者を被告人のものであると断定した点について、これを争っている、すなわち、まず被告人が本件ズボンを富士市の日の丸洋服店で購入した可能性があるという事実の認定に供された原審証人深井和江(深井縫製)、同保津扶美子(日の丸洋服店)の各供述は主観的感覚的な面が多く客観的確実性があるとはいえない、とくに深井の供述中ズボンを売ったのが昭和39年ころという点は被告人が富士市に居住していた時期と明らかにくい違っているから右両名の供述によって原判示のようなズボン購入の可能性を推認するのは相当でないと主張する。また端切れとズボンとの同一性を認めた近藤彰作成の鑑定書(昭和42年12月4日付)は、ほつれ糸の長さの比較により右結論を得たというが、鑑定書には肝心の資料がなんら添付されておらず証明力はない、むしろ切断面の比較写真によれば一方にみられる規則的な起伏が他方に存在していないから切断面は別個であるとみるべきであるといい、以上のことを論拠に、原判決には、事実誤認、審理不尽などがあると主張する。

(イ)まず深井、保津の証言について検討すると、深井は股下の縫い方や糸の状態などの縫製の特徴点や藤定株式会社の番号をあげたうえ本件ズボンは深井縫製が藤定に納品したものであるものであるといい、保津は、ズボンの折り返し具合、裾のまつり具合など具体的根拠をあげて80%位まで日の丸洋服店が藤定から仕入れて売つた物といつているのであつて、同人らの供述が客観的確実性に欠けるとはいいがたい。たしかに本件ズボンの縫製の時期についての深井の供述、仕入れの時期についての保津の供述中には、昭和39年ころという表現はみられる。しかし両名の供述全体を仔細に検討すると、両名の供述は、それ以前の縫製あるいは仕入れを明確に否定した趣旨をは認めがたく、被告人が日の丸洋服店から本件ズボンを購入した可能性を否定するには足りない。

(ロ)つぎに近藤鑑定の当否について検討すると、同鑑定は、本件ズボンの左足部分から10センチ四方の布地を切りとり、これと端切れとについて布地の織り方、縦糸横糸の量類・密度・番手、顕微鏡による色の検査、濃硫酸液等による呈色反応検査をした結果、両者の生地は同一種類の生地と思われ、生地の染色は似ているものと思われると結論しているが、この点については、当審で取り調べた砺波宏明作成の昭和47年8月11日付鑑定書も両者は全く同一の生地であるかあるいは極めて酷似した生地であると結論しているので、ほとんど疑問を入れる余地はない。そこでつぎに両者の切断面に問題がないかどうかを検討する。近藤鑑定書中の鑑定経過(3)および当審第5、6回公判での同人の供述によると、同鑑定人は、ズボン右裾の折りかえり部分を端から約7センチ切り取った布地(以下「ズボン側布地」という)と本件端切れの両方の切断面から合計40本のほつれ糸を一本ずつ取り出して検査し、さらに双方からの一、二本のほつれ糸を組み合わせた11組について検討した結果、各々の長さの和がいずれも切断されていない糸の長さに似ていることが認められ、これが切断面の同一性についての有力な鑑定根拠とされている。弁護人は鑑定書にはこの糸の長さについてのデータの記載がないから証明力はないというけれども、鑑定書にはほつれ糸を1本ごとに番号で特定した写真3ないし6が添付され、本文中でも11組の組合せについてほつれ糸を番号で特定して記載している。そして同鑑定人は当審で尋問されたさい、右各ほつれ糸の長さについてはデーターを残しており、これを持参している旨も供述しているのである。たしかに鑑定結果に影響を及ぼすほどの有力な根拠については鑑定書中に細かい資料をかかげることが望ましく、この意味で右鑑定は万全のものとはいいがたい。しかし右鑑定書の記載と鑑定人の供述を総合すれば、本件ズボンと端切れの同一性についての鑑定結果は十分信用できるものと認められる。

また弁護人は、鑑定書添付写真1ないし4のズボン側布地に規則的起伏が見られるのに対し、端切れにはこれがない旨指摘する。この点はそのとおりで、近藤鑑定人も当審で供述をもとめられたさいその起伏の原因については説明できなかつた。しかし鑑定書によると、写真4に特に明瞭なようにズボン側布地の起伏の谷に相当するような凹みがそのほつれ糸にもあらわれていること、ズボン側布地についてほつれ糸を取り去り冷水でよく味噌成分を洗い落として乾燥させ(経過(4))、これをアイロンで伸ばした写真7、8ではこのような起伏は全く消えていること、ほつれ糸(横糸)を取り除いても縦糸の長さはほとんど変化が生じないように思われること等に徴すると、このズボン側布地の規則的な起伏は、本来の切断面として存在しているものではなく、味噌につけられていたことによる変化、たとえばしわの発生とか縦糸の収縮具合いとかの二次的な原因によるものと思われ、端切れの切断面にこのような起伏がないからといつて両者の切断面が別個であるとは到底いえない。かえつて近藤鑑定人も指摘するように、写真7,8の切断面の凹凸状態が全体的に似ていること、特に写真7の端切れの中央付近の凸部(写真5の左より部分、写真6の右より部分の凸部と同じ部分)はズボン側布地の中央部の凹部にほぼ合致していること、その他切断された繊維の先端の形状検査(同経過(5))、縫合部の糸の撚り状況(同経過(6))等に徴すれば両者に一致する切断面があると認めた近藤鑑定書の結論は相当であると考えられる。論旨は理由がない。

(3)被告人が本件発生当時本件ズボンをはくことができたかどうかについて

所論は、当審での着装実験によれば、被告人がはくことができないことは明らかであるから、これは被告人のズボンではないという。

当審における昭和46年11月20日、49年9月26日および50年12月18日の3回にわたる着装実験によれば、被告人はいずれの機会にも尻の部分にズボンのウエスト部分がつかえてはくことはできなかった。しかし本件ズボン発生直後の昭和42年9月4日付実況見分調書によると、本件ズボンの前開き部の内側に布切れが縫いこまれており、それには「寸法4、型B」という規格が表示されていたこと(この点は当審で取り調べた司法警察員加籐善吉作成の昭和48年9月8日付報告書添付写真に「4」の数字がうつつており、また原審第22回公判で証人深井和江が尋問のさいに示された本件ズボンを見て、「B」の文字を確認していることによつて間違いないと考えられる)、このズボンの後部右ポケット内に布片が縫い込まれ「全既工連制定証紙、通産省承認表示者番号CAT370号・・・・」と表示されていること等が認められる。またこの番号により本件ズボンは名古屋市の問屋藤定株式会社の製品で、同市の有限会社深井縫製が藤定から注文を受けて縫製し納品したものと判明したが(右深井供述および当審30回公判での藤定の専務取締役尾関宏夫の証言)、昭和39、40年当時はまだ一般にズボンの既製服について通産省の規格どおりに製造する業者はすくなく、藤定もこれに従つておらず独自の規格で製作していたが、当時寸法はやや太めであって、腰まわりは4号のY体(若向き)で76センチ、A体(普通)で80センチ、AB体(A体とB体の中間)で82センチ、B体(肥満体)で84センチという寸法であつたこと、実際の縫製は寸法よりプラスマイナス1センチの誤差が許されるが、多くは1センチ以内で小さめに作られること(以上につき右尾関の昭和50年10月7日の供述)が明らかである。弁護人は藤定の専務尾関の寸法に関する証言は10年も前のことについての記憶だけに頼つた供述で正確とはいえないと主張するが、同人はこの方面の専門家であり、しかも現在の規格に関連して当時の寸法を記憶しており、その供述内容にあいまいな点はないからその供述は十分信用できると思われる。以上によれば、本件ズボンの腰まわりの縫製寸法は83ないし85センチ程度であったと認めるのが相当である。ただ当審で本件ズボンを2回にわたり鑑定人佐々木繁夫に命じて測定させたところ、その腰まわりの寸法は1回目(昭和49年9月26日)は68センチ、2回目(同年11月21日)は70センチであつた。この原因は、小売店で販売する時に腰まわりを約3センチつめたとみられること(前示証人保津は、本件ズボンの腰まわりはその針穴のもとからみて全体で3センチ位つめていると供述している)のほか、生地そのものが1年以上も水分・味噌成分を吸い込んだあと長期間証拠物として保管されている間に自然乾燥して収縮したこと、特に裏生地の収縮によつて表生地にしわができ、これが固着した状態になつているため寸法測定のときにもしわを伸展できないという、いわば見かけの収縮が生じていることによるものと認められる(砺波作成の昭和50年6月23日付、同年10月20日付各鑑定書、同人の当審29回、31回公判での各供述)。これに対し被告人が自分のものに間違いないとして昭和41年9月1日に警察官に差し出し当審で検察官から提出された黒地に茶色格子縞ズボン(符号129)は、当審での着装実験の結果被告人が十分はくことができ、その腰周りの寸法は1回目は80センチ、2回目は76センチを測定された(前示佐々木鑑定)。以上の事実によれば、本件ズボンの腰まわりの寸法は前示「B4」の規格寸法84センチより約1センチ小さく縫製され、小売店でさらに3センチつめられたとしてもなお約80センチあることになるから被告人は、本件発生時には本件ズボンを優にはけたものと認められる。また本件当時のズボンの腰まわりは収縮を見込んで逆算すると74.5ないし76.1センチと推定されるという砺波鑑定の結果(右10月20日付鑑定書)を前提にしても、被告人が自ら提出しはくことができたズボンの腰まわりが約76センチないし80センチであったことに徴すれば、本件ズボンは被告人が着装できる範囲内のものであったと認められる。なお本件ズボンをみれば明らかなように、その腰まわり、前後左右のポケット、膝の部分の裏地がごわごわに固くなっていること、被告人の体重は昭和40年11月8日の会社の健康診断では体重55キログラムであつたのが、勾留された後の41年10月18日には61キログラムにふえ、以後一度57キログラムまで下がつたことはあるが、ほぼ60キログラム台を維持しており、拘留中の運動不足によると思われる体重の増加も無視することができない。また被告人が当時ベルトをしめなくてもはけるようなぴったりしたズボンをはいていることが多かったこと(原審第18回公判での証人山口元之、同29回公判での証人松本久次郎の各供述、同28回公判での被告人の供述)や勾留後被告人がズボンが小さくなつたとして差入れを頼んだこと(原審第21回公判での証人加藤実の供述)等の事実もうかがわれる。

弁護人は着装実験によれば本件ズボン前開きの最下部の点とウエスト後部中央上段の点をまわる円周上で被告人のヒップがつかえて入らないから、胴まわり部分の収縮はあまり問題にならず、また生地自体の収縮もさしてないと主張するけれど、胴(腰)まわり部分が縮小してしわが固着していることは、ズボンの胴まわり部分がヒップを通過するときに当然影響を及ぼすものと思われるし、ズボンの生地自体にさほど収縮がなくてもズボンの尻まわり全体の表面がごわごわして引張つて容易に伸びないしわのような部分は生地が収縮したのと同様の効果があり、また前後左右のポケット、膝あての生地のごわごわした生地はズボンをはく時に相当障害になるものと思われる。以上の事情に徴すれば、被告人は本件発生当時本件ズボンを十分にはけたものと認定するのが相当である。論旨は理由がない。

(4)味噌タンクから同時に発見された緑色ブリーフその他の衣類について

(イ)緑色ブリーフについて

所論は、被告人が本件発生前に使用していたのは、原判決がいうように味噌タンクから発見された緑色ブリーフ(符号100、以下「本件ブリーフ」という)ではなく、原審で弁護人が提出した緑色ブリーフ(符号106)である、これは近藤勝彦商店の国井大三から浜北市の清水屋へ卸売されたものを被告人の母袴田ともが買い入れて被告人に渡したものである、原審での国井大三の供述によれば原判示のように清水屋がもつぱら小宮山商店から緑色ブリーフを仕入れていたとは確定できないから原判決には重大な事実の誤認があると主張する。

当審での証人清水忠の供述、原審での証人国井大三の供述によれば、所論のとおり、清水屋では本件のようなタオル地の緑色ブリーフを、もっぱら鐘百メリヤス有限会社製のムーンライトという品物を取り扱つていた小宮山商店からだけでなく、近藤勝彦商店からも仕入れていたことが認められる。しかし鐘百メリヤス勤務の貝本隆一の原審第23回公判供述および押収されている各ブリーフを詳細に検討すると、鐘百メリヤス製品の特徴は、(イ)ちん出し部分の2本ある向かつて右側の線は、表側(上側)も裏側(下側)もジグザグ縫いである点、(ロ)両わきの一番下の部分(脚を出すはき口)がふくれないように糸でとめてある点、(ハ)腰のゴムが2本である点であるが、本件ブリーフにはこれらの特徴がみられるのに対し、弁護人提出のブリーフは裏側のちん出し部分の右側の線の縫目はジグザグ縫いが施されているものの、表側にはそれが施されていないし、両わきの脚を出す部分もとめてなく、ゴムは1本であることが明らかである。また本件ブリーフの裏側の縦に走る左右2本の線にはジグザグ縫いが施されていないのに対し、弁護人提出のにはこれが施されている。鐘百メリヤスで裏側の左右2本の縫目部分(ちん出し部分の右側の線ではない)にジグザグ縫いを施すようになったのは、原判示のとおり昭和41年8月9日ころかであることは間違いない(この部分を縫うミシンを修理したさいの請求書、納品明細書、仕入台帳写、右貝本の供述)。右貝本証人は以上の特徴点のほか、ブリーフの全体の形、縫製の形、付属等の使い方を検討し、本件ブリーフは鐘百メリヤスの製品に間違いない、しかも昭和41年8月9日以前の製品であると断言したのである。そして当審での清水忠の供述、そのさい同人が持参した緑色ブリーフ2枚(符号126,127)を検討しても、本件ブリーフが右清水持参の126,127号のブリーフ、特に「ム−ンライト」と書かれた袋に入っている127号のブリーフの縫い目と格別相違している点は認められない(ただし127号は昭和41年8月9日以降の製品と思われ、裏側の縦に走る左右2本の縫目にジグザグ縫いが施されている点が本件ブリーフと異なる)。このような事情に徴すれば、本件ブリーフが鐘百メリヤスの製品である可能性は極めて強いと認められる。これに被告人が緑色ブリーフを着用していたと思われる時期、弁護人が緑色ブリーフを提出した経緯、たとえば、こがね味噌の従業員中普段緑色ブリーフをはいていたのは被告人だけであること、被告人は緑色ブリーフを本件発生以後もはいていたというが、従業員の中には本件発生後被告人が緑色ブリーフ(パンツ)をはいているのを見たものはなく(以上原審第17、18回公判での証人水野源三、同望月倶輔、同岩崎和一、同村松喜作、同佐藤健吾、同佐藤文雄、同山口元之、同松浦光男の各供述)、被告人の逮捕後被告人の衣類等を荷造りしてその実家に送った佐藤省吾らのもその荷物の中に緑色ブリーフを入れた記憶はないといつていること(右佐藤健吾、佐藤省吾の各供述)、袴田ともも検察官に対しては寮から送られてきた荷物の中に緑色ブリーフはなかった旨供述していること(同人の昭和42年9月17日付検察官調書)、これに反する趣旨の同女の原審第21、24回公判での各供述は、その立場、供述の時期等から見てそのまま信用することは困難であること、被告人の兄加藤実は昭和41年10月22日ころ被告人に差し入れに行つたが、弁護士の指示でズボンだけを差し入れることにし、他の衣類はそのまま下田町の自宅に持ち帰り、その中に緑色ブリーフ(符号106)があった旨証言するが(原審第21回公判)、同月27日に弁護士斉藤準之助が袴田茂治の代理人として茶ズボン以外に茶セーター、ウス茶シャツ、白ズボン下、靴下等を差し入れていること(静岡刑務所長作成の昭和43年5月2日付照会回答書)は明らかであつて加藤の証言には重要な点で誤りがあること等の事情をあわせ考えれば、本件ブリーフは被告人のものである疑いが極めて濃厚であると認められる。本件ブリーフ以外にこれに似たブリーフがあることは、本件ブリーフが被告人のものであることを否定する論拠になるものではない。

(ロ)その他の衣類について

所論は、これらの衣類についても原判決が被告人の所有であることを否定する証拠(ネズミ色スポーツシャツの襟には赤いラインが入つていなかつた旨の大木茂、袴田レイ子の各供述、ステテコのゴム幅は広くはないこと)を無視して被告人のものであるとしたのは審理を尽くさず、証拠によらない事実認定で違法であると主張する。

しかし本件ズボンが被告人のものと断定でき、緑色ブリーフが被告人のものである疑いが極めて強いこと、他の衣類もそれらと同じ麻袋の中に血に染まつて一緒に入つていたこと(司法警察官春田作成の昭和42年9月4日付実況見分調書)、以上の衣類はその種類等からみて、同一人が同時に着用していたものと見るのが自然であること等の状況に徴すれば、他の衣類も被告人のものであると認めた原判決に不合理な点はない。所論は被告人のスポーツシャツには赤い線が入つていなかつたから本件のスポーツシャツは被告人のものでないと主張するが、所論がその裏づけ証拠とする袴田レイ子の供述(原審第22回公判)によれば、スポーツシャツは昭和38年ころ長崎屋で買つたのに似ているが、襟の赤い線ついては見覚えがない、線が入つていたかどうかわからないというにすぎないこと、同女が40年に家出し、その後の被告人の衣類の購入等については知らないと思われること等の事実が認められ、同女の供述も原判示認定をくつがえすには足りない。また大木茂の証言(同公判)によれば長崎屋清水店では襟にラインの入ったスポーツシャツ(ポロシャツ)を扱つていなかった可能性はあるが、だからといつて被告人に本件スポーツシャツを入手する機会がなかつたとまでは認められない。その他の所論指摘の点も原判示認定を左右するとは思われない。論旨は理由がない。

(5)清水郵便局で発見された現金等在中の差出人不明の封筒と被告人および松下文子との関係について

所論は、原判決は昭和41年9月13日清水郵便局で発見された清水警察署あての、「イワオ」と書かれた千円札2枚をふくむ現金5万700円および「ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアツタツミトウナ」と記された便箋1枚在中の差出人不明の二重封筒につき、この現金は本件賍品の一部で、これを入手した者は犯人が「イワオ」という名前の者か、この名前に重要な関係がある者だということを知らせようとして投函した、この投函者は元こがね味噌の従業員であつた松下文子であり、同女は被告人から右現金を預かつたものであると認定したが、札の特徴や札の一部の焼失の経過を明らかにせず、また心ない人の悪戯とも他人に罪を帰すことを企む真犯人の行為とも考える余地があるのに投函者の証言もないまま右現金が賍品の一部であると認定するのは審理不尽で証拠に基づかない認定をした違法がある、また松下文子が被告人から右現金を預かつて投函したとの認定は、その根拠とされた筆跡鑑定が合理性に乏しいこと、松下自身原審証人として右事実を否定していること、同女を取り調べた警察官や友人の証言は伝聞で証拠にできないものであること等の点からみて、理由不備、事実誤認であると主張する。

(イ)右現金と本件賍品との同一性

記録によれば、原判示のとおり右封筒は切手も貼らないまま差出人名も書かずに清水警察署あてに投函されていたうえ、中には本件に関連した金であることを表現する文面の便箋一枚および被告人の名前である「イワオ」と書きしるした千円札2枚を含む現金が入つていたこと、その中の百円札1枚には血液型不明の人血の付着が認めらたことが明らかである。これに右郵便物は同月11日か12日に清水市内のポストに投函されたもので、当時はすでに被告人が本件犯行を自白したと報道され、起訴もされていたのであるから、心ないいたずらとすると被告人の名前とは別の名前を書くように思われるし、当時としてはかなりの高額の5万円余りもの現金を惜しげもなく一部を焼いて手ばなすのは単なるいたずらとは思えないこと、池ノ谷寛の司法警察員に対する調書(9月9日)によるとなくなつた布小袋には1万円札2、3、枚、5千円札2、3、枚、千円札は百円札より多かつた枚数が入つていたが、発見された札の種類・枚数はほぼ右供述にそもので単なる偶然とは考えにくいこと、また真犯人が被告人を罪におとし入れようとして工作したものとすれば、すでに被告人が自白し起訴されたのに何を好んでこのような危険な、場合によると自分に捜査の手が及ぶかもしれない行為をするのか疑問であること、文字、文面等から見ると、何らかの事情があつて本件との関係を疑われるおそれのあったものが、これを免れようとしてした窮余の策ともみられること等の事情をあわせ考えれば、第三者のいたずらあるいは真犯人の工作と考える余地はほとんどなく、原判決のような推認も十分に肯認できるといわなければならない。原判決に所論のような誤りはない。

(ロ)筆跡鑑定および差出人について

記録によれば清水郵便局で発見された封筒(符号47、表に片仮名で「シミズケイサツショ」と書かれている)、便箋(符号48)、千円札2枚(符号51の1部)に記載されてた文字、松下文子が記したことの明らかな注文控ノート(符号55)、便箋メモ(符号54)の文字に関する筆跡鑑定は捜査段階原審を通じて5回行なわれたが、これらの鑑定結果によれば、封筒便箋の文字と千円札2枚の「イワオ」の文字(岩崎六三朗作成の昭和42年8月16日付鑑定書、長野勝弘作成の同年7月9日付鑑定書、遊佐竹武次郎作成の43年1月10日付鑑定書)および右封筒・便箋の文字と松下文子の注文控ノート・便箋メモの文字(右岩崎作成の昭和41年9月22日付鑑定書、長野勝弘・市川和義作成の同年10月10日付鑑定書、遊佐武次郎作成の昭和43年1月10日付鑑定書)とは、いずれも同一人の手によるものであるとされた。ところが後者の点についての鑑定に対し、当審での戸谷富之作成の昭和47年1月22日付鑑定書、同人の当審第17回公判での供述は、右の3つの鑑定は対照資料の検討が杜撰であるうえ鑑定方法が従来の経験や感だけに頼り主として特定文字の相同性、相違性を検討したものであり、常同性(偶然的なものでなくその人特有の筆跡として繰り返しあらわれているかどうか)、稀少性(他の人の文字には容易にみられない特徴であるかどうか)が考慮されておらず、また客観的基準を持つ筆跡計測法(筆画の長短、湾曲度等を数字的に計測し、その分布や平均値による確率的比較方法)のような方法も採られていないから科学的根拠を欠く、さらにその内容自体を検討しても信頼できないという。

たしかに原審の各鑑定には対照資料に問題があること(注文控ノート中の11月24日以降の分は松下の字ではないのにこれを岩崎鑑定、長野・市川鑑定が使用している、遊佐鑑定にも対照資料中の文字を読み違えているのではないかと思われる点が3つほどある)、一部の判断に疑問の点があること(遊佐鑑定の三字目が左によるという列行配字についての指摘)、戸谷鑑定のいうような鑑定方法の方がより科学的であつて望ましいものであることは否定できない。しかし従来の伝統的な筆跡鑑定方法は、経験や感に頼る面が多いとはいえるが、字画の長さ、字画と字画の交差状態、字画の曲直の度合い、傾斜の度合い、傾斜角度や筆順すなわち運筆の方法・順序、起筆終筆の方向等のほか配字、筆勢、筆圧の強弱等の運筆上の個癖について拡大写真を使用するなどしてできるだけ客観的に異同を識別しようとするものであつて、いちがいに主観的・非科学的で信用できないとまでいうのはいきすぎと思われる。また岩崎鑑定、長野・市川鑑定で誤つて対照資料にとり入れて検討の対照にした「ウ、ノ、コ、サ、ス、ハ、ソ、ア」等の文字を除いてもその他の文字についての両鑑定の指摘する特徴点は十分に残りうるし、原審の三鑑定が共通して指摘する「ツ」「ショ」「オ」「ン」等の文字の類似点、特異点に関する部分は各鑑定書の記載、当審での遊佐、戸谷の各供述を詳細に検討してもなお相当の根拠、説得力を有するものと認められる。戸谷鑑定が指摘する諸点は必ずしも首肯しうるものばかりではない(たとえば「ツ」の文字について戸谷鑑定はある程度特異な特徴のある字であることを認めながらも「シ」とも「ツ」ともつかないような本件文字は決して珍しいとはいえず稀少性がないというが、このような文字を書く人がすくないことは確かで本件筆跡判定の有力な根拠の一つになることは疑いない。また「ツ」の字の第二画の起筆部の位置、第一画と第二画の角度、第二画の傾き、第三画に対する角度等について相違点があるという趣旨の戸谷鑑定の指摘は必ずしも納得できない。また「ホ」の字の第三、四画の角度、「イ」「オ」「ケ」の字の斜線の角度についても、戸谷鑑定以外の鑑定は一応類似点を指摘している。戸谷鑑定のいうようにその一つ一つについて稀少性までは認められないにしても、以上のようなそう一般的ではない類似点をいくつか有する筆跡全体を総合すれば、その稀少性はかなり高度なものになることも十分ありうる。なお濁点の相違点については、対照文書が速度をもって書かれているのに対し、被検文書は作意的にぎこちなく一字ずつ書かれているから、特に異とすりるに足りない)。要するに、筆跡鑑定だけから清水郵便局で発見された封筒の差出人が松下文子であると断定することはちゅうちょされる(もっとも原判決も筆跡鑑定だけから右封筒を松下が発送したものと認定しているものではない)が、かなりその疑いが強いことは、筆跡鑑定の結果によつても認められると思われる。

(ハ)松下文子と被告人との関係など

記録によれば、松下文子は元こがね味噌の従業員で被告人とはかなり親しくしていたこと(被告人が母に松下を結婚相手としてどうかと紹介したのは被告人が結婚相手を探していることを母にわかつてもらうためのいわば偽装である旨被告人は供述するが、いずれにしても松下とはそのような役目を依頼できるような間柄であつたことを物語つているし、関係者の供述により親しかつたことは間違いない)、事件後の8月7日ころの夜被告人が黒柳美代子の家に松下文子を探して訪ねてきたこと、被告人・松下いずれとも格別利害関係のない証人黒柳は、「被告人が逮捕された8月18日の直後ころ松下が自分のところにきたさい、前に被告人が松下を訪ねてきた旨話すと松下は驚いた様子で、警察には何もかも話した方がいいとの自分のすすめに対し、“もし私が話をすると私を犯人に仕立てあげるから絶対にしゃべらない、自分は共犯ではない、あとで仕返しされたらこまる”といつた」などと述べていること(なおこの証言は、要証事実との関係では伝聞供述といえない)、また松下は取調の警察官らに対しても「証拠隠滅の罪は重いか、考えさせてくれ」「私が本当のことを話すと自白したことになつて皆さんに顔向けできない」「いつたことについて絶対罪にしないといつてくれれば話してもいい」「受け取つたことは受け取つたが第三者を通じてだ」「ただ預かつただけなら罪にならんという検事の証明書をもらつてくれ」等と述べたことがうかがわれる(原審第13回公判での証人住吉親、同森下哲雄、同森田政司の各供述)。これらの点につき松下は、原審第12回公判では、本件後の7月10日ころ被告人からお金を受け取つたことはない、封筒に現金を入れて清水警察署あて発送したことは全く知らないと否定するものの、警察官にどのように話したかについてはほとんど忘れた、知らないなどと明らかに不自然な答を繰り返し、しかも黒柳方を訪ねたことも覚えていないというのであつて(当審第4回公判ではこの点は訂正している)、この松下の供述は到底そのまま信用できないこと、松下米子は、検察官に対し被告人が8月7日ころ姉文子を訪ねてきたことがある旨、および文子が当時5万円というような大金を現金で持つているはずがないし、人から借りたようなこともないと思う旨述べていること(同人の9月23日付検察官調書2通)等の事情が認められる。これらの事情と前示筆跡鑑定の結果とを総合すれば、原判示のように松下が被告人から現金を預かり、そのうちの千円札2枚に「イワオ」と、また便箋、封筒に前示のような文字を書いた現金入り封筒を清水警察署あて発送した可能性は極めて強いを認められる。この点に関するその他の所論は右認定を左右するには足りない。論旨は理由がない。

(6)くり小刀の購入について

所論は、原判決が沼津市の菊光刃物店の高橋みどりが捜査官に被告人の写真を見せられたさい、2、3か月前に見た顔であると述べたことから被告人はくり小刀(符号4)を同店で購入したと認定した点について、右高橋の供述によっても前に見たような感じの人だと思ったと述べているだけで外的特徴や販売時期・品物も不明で極めて漠然としているとし、被告人も菊光刃物店へ行ったことはないと供述しているから、被告人が同店でくり小刀を買つたと認めるべき証拠は全くなく、原判決は事実を誤認し、証拠に基づかない事実認定をし法令に違反すると主張する。

しかし、原審第14回公判での証人高橋みどりの供述によれば、本件直後の7月ごろ、警察官が同女方店舗(菊光刃物店)に来てこがね味噌の従業員の写真20枚以上を同女に示したところ、同女が被告人の写真を指して「見覚えがある、2、3か月前ころに見たような感じがする」旨述べたこと、そのさい捜査官二人が顔を見合わせていたこと、その時同女はまだ被告人の名前や写真をテレビ・新聞等で見ていなかつたこと、同店では本件兇器と同様のさくら鞘の玉菊銘入りのくり小刀を1本500円で販売していること等の事実が認められるが、これらの点については、当審第14回公判での同女の供述に徴しても別に疑問は生じなかつた。また原判決は以上の事実を摘示するにとどまり(これにより推認しうる事実はせいぜい被告人がくり小刀を同店で買う機会・可能性があつたという程度と思われる)、これらの事実から被告人が本件兇器のくり小刀を同店で購入したとまで認定しているものではない。論旨は理由がない。

(7)被告人の右肩の傷と白半袖シャツの右肩部分の損傷との関係について

所論は、原判決が被告人の右肩の傷は味噌タンクの中から発見された本件白半袖シャツ(符号97)を着用したままで生成されたと認めた点について、白半袖シャツは被告人のものではなく、被告人の右肩の傷はパジャマを着て消火中に物干台の庇から転落したさいにできたものであるから右認定は事実誤認であると主張する。

しかし記録によれば、白半袖は前示のように被告人のものと認められるほか、その右袖の上部前面の部分(肩)に2つの損傷があり、この部分にいずれも内側からにじみ出たと認められる、被告人の血液と同型のB型の血液が付着していたこと(前示春田作成の昭和42年9月4日付実況見分調書、佐藤秀一作成の昭和42年9月20日付鑑定書)、昭和41年8月18日に行なわれた医師鈴木完夫の診断の結果被告人の右肩前部(外側上三分の一の部分)に1.5×0.5センチの大きさのケロイド状を呈した肉芽組織が認められたこと(同人作成の昭和42年5月24日付鑑定書)、41年9月8日の医師木村和夫および司法警察員森田政司の身体調査の結果被告人の右上腕上部前面に横に走る1.5×0.5センチの大きさの比較的新しくできたと思われる紫褐色の化膿した創痕が認められたこと(右森田作成の9月8日付身体検査調書、右木村作成の同月9日付鑑定書)、また被告人が本件火災のあと工場内作業のときに着用していたと認められる作業服上衣(符号2)の右肩部分にも内側からにじみ出たと思われるB型の血痕が付着していたこと(司法警察員富安要作成の7月4日付捜索差押調書、同人作成の同月5日付捜査報告書、鈴木健介作成の7月18日付鑑定書、原審第28回公判での被告人の供述)、以上の結果を明らかにする各鑑定書および身体検査調書の記載および添付人体図・写真を比較対照すると、以上の被告人の右肩の傷は同一のもので白半袖シャツの右袖の損傷部位(前示春田作成の昭和42年9月4日付実況見分調書添付見取図7、佐藤秀一作作成の鑑定書添付写真17、押収されている符号97の白半袖シャツ参照)と概ね一致していること(なお被告人の右肩の傷の血が付着した前示符号2の作業衣および前示富安作成の報告書、鈴木作成の鑑定書添付写真参照)、さらに白半袖シャツと同時に味噌タンクから発見されたネズミ色スポーツシャツの右袖上部(ただし当審で取り調べた弁護人上田誠吉撮影の写真23葉によると被告人が押収されている白半袖シャツの上にネズミ色のスポーツシャツを着用したところネズミ色スポーツシャツの損傷の方がやや前側にきているようである)にも3×3ミリの大きさの不整形の損傷が認められること、白半袖シャツの損傷が2個でスポーツシャツの損傷は1個であるが、血痕の付着状況等からみて下に着用していたと認められる白半袖シャツは皮膚に密着しているのに対し、その上のスポーツシャツの着具合はゆったりとし、その損傷部分は不整形で、生地の織りも比較的粗いから受傷の仕方によつては上のスポーツシャツの損傷が1か所で下の白半袖シャツの損傷が2か所という事態も想定できないわけではないこと(たとえば検察官主張のように斜めに刃物が入つたときに下の白半袖シャツに入口と出口の2か所穴ができるような場合、あるいは鋭い刃物が一たん下のシャツまで刺さつたあとシャツとスポーツシャツの間まで刃が抜け、さらにそのまま再び白半袖シャツの別の箇所に刺さるような場合等)等の事実が認められる。これらの事情を総合すれば、被告人の右肩の傷は、右白半袖シャツ、ネズミ色スポーツシャツを着用した上から何らかの作用を受け受傷したと認めるのが相当である。被告人のパジャマの右袖上部に傷の部位に相応する5.5×3センチのカギ裂きがあり、この部分にルミノール反応があつたこと(鈴木健介の右7月18日付鑑定書)は事実であるが、この事実は前記認定を左右するには足りない(被告人が後刻パジャマの損傷を作出することは可能である)。論旨は理由がない。

(8)本件の発生後に発覚した被告人の左手中指の傷について

所論は、原判決は、被告人に左手中指の傷は鋭利な刃物による傷であると認定しているが、この傷は被告人のいうように、被告人が消火活動のさいトタンぶきに屋根の上で滑り、あるいは物干台の下の庇から瓦礫、ガラスなどの堆積している場所に転落したさい受けたものと認めるのが経験則上相当と認められるから、原判決は経験則に反し事実を誤認したものであると主張する。

被告人の左手中指の傷が本件当夜に生じたものであることは、被告人も争つておらず証拠上(原審第4、6回公判での証人佐藤文雄、同岩崎和一、同山口元之の各供述)も疑いがない。またこの傷の状況については、事件から3日後の7月3日、翌4日、被告人が逮捕された8月18日、それぞれ診察、鑑定されている(原審第10回公判での証人福井徳応、同鈴木俊次の各供述、山田昌徳の司法警察員調書、鈴木完夫作成の鑑定書)が、いずれの場合にも、左手中指末節の内側に長さ約1ないし1.5センチ、幅約4ミリの、鋭利な刃物ないし金属によると思われるかなり深い切創が確認されている。この傷につき被告人は当審で、物置小屋の屋上にある物干場横のトタン屋根ですべつてころび、ゴミ捨場のようになつている上に落ちた時に右上腕、右足の傷とともに受けたように思うと供述している(当審第2,34回公判)。しかし被告人の説明には疑わしい点が多い。すなわち被告人は火災鎮火直後ころ従業員の山口元之に対し屋根から落ちて腰が痛い旨(原審第6回公判での同人の供述)、当日午前8時ころ従業員の岩崎らに対し消化中に屋根から落ちて怪我した旨(同公判での同人の供述)述べていたのに、それ以後他の従業員に対しては屋根ですべってトタンあるいはトタンか何かで切った旨(原審第3回公判での証人佐藤省吾、同8回公判での証人水野庄次郎、同九回公判での承認水野源三の各供述)、医師福井、山田、鈴木俊次らに対してはトタンで切った旨説明しているのである。しかも医師山田から「本当にトタンですね」ときかれると口ごもり「よくわからない」と答えているのである(前示福井、鈴木各供述、山田の司法警察員調書)。また被告人は原審第28回公判では「物干の柱につかまつて登る時に下へすべり落ちた、屋根の上にあがつてから土蔵の前の方へまわる時にすべつてころんだ、あわてていたのでどこで切つたかわからない」といつたあと、左手中指、足、肩の傷は「あわてていたのでわからないが屋根から落ちたときにできた傷だと思う」旨、また「指の傷は屋根にあがる時にすべつてできたのか、中庭の方へ行つた時すべつてできたのかのどちらかである」旨も供述している。さらに原審第29回公判では、「右腕の傷は物干にあがる屋根の上であがつていこうとした時すべつて屋根から落ちたさい、横に転んだので怪我したと思う」旨述べ、原審の昭和42年1月24日付検証調書添付図面でそのあがつた場所を指示したうえ、「落ちたところはゴミ捨場のようなところで体の右側を下にして落ちた、左手中指も何か切れるものに手をついたのじやないかと思う、右足の傷は上にあがるときあるいは上にあがつてから転んだときにできたと思う」旨供述している。そして当審では「屋根の上では2回すべつて転んだ、最初は物干場から中庭の方へ行く途中で転んだだけで、後のときは物干場横のトタン屋根からおりる時に物干用の2本の柱の中間あたりの地上に落ちた、そこはゴミ捨場でガラスのようなものが落ちているので手はそのようなガラスかトタンで切った、右腕は木片に釘を打ち付けたようなものにひつかけたと思う、足も角材にぶつけてできたと思う、また物干用の柱に登るときにすべり落ちたのではなく、おりるときに柱からすべつて落ちた」旨弁明している(当審第2,34回公判、当審の昭和45年10月23日付検証調書見取図(2))。

このように被告人の傷についての説明は相当変転しているのであつて、かなりの出血や痛みがあつたと思われる左手中指の傷について実際に経験したところを述べたものとは考えにくい。以上の状況に、大勢のものが消火にあたりあるいは見物していたのに、記録を精査してもその中に被告人がトタン屋根の上ですべつたり、屋根から地上に落ちたりする状況を目撃したものが一人もいないこと(原審第3回公判での証人佐藤省吾の供述によると被告人は物干用の柱を登る時にすべり落ちたにすぎない)、被告人の左手中指の傷をみた医師4人のうち、1人だけがトタンでもできるといっている(前示福井供述)だけで、他の3人は鋭利な刃物によるものであると一致して推定していること(前示鈴木供述、山田の司法警察員調書、鈴木完夫作成の鑑定書。特に鈴木俊次はトタンでできた傷であれば傷の上または下がギザギザになると思われるのに被告人の傷にはこれがないという、なお押収してある符号99の昭和42年9月1日付同人作成の報告書参照)、被告人が落下したという物干し用の柱の中間あたりにガラス等切り傷を生ずるおそれのあるようなものは見あたらないこと(黒柳作成の7月20日付検証調書添付写真3、5、8、43、44、45、153番)、かりにガラスのようなものがあつたとしても、被告人のいうように体の右側を下にして腰を打つ形で落下したとして果たして右上腕の前面の傷および左手中指の一直線のかなり深い傷ができるかどうか疑問であること等の事情をあわせ考えれば、被告人の説明をそのまま信用することは困難である。したがつて被告人の左手中指の傷が鋭利な刃物によるものであると認定した原判決に不合理な点はない。論旨は理由がない。

(9)被告人のアリバイについて

所論は、原判決が被告人の寝室の向い側の部屋や工場出入口近くの宿直室には、他の従業員が寝ていて被告人が自室や工場に出入りすれば、当然これに気づくはずであること、被告人が終始消火活動に従事していたことに等の事実を無視し、被告人が犯行時就寝しているのを目撃した者がいないことを根拠に、被告人にアリバイがないと認めたのは採証法則違反であると主張する。

記録によれば、本件当夜、すなわち6月29日夜から翌30日朝にかけて従業員岩崎和一が工場階下の出入口近くの部屋で宿直していたこと、同夜は二階の8畳間には佐藤省吾、松浦光男が寝ていたこと、向い側の10畳間は被告人と佐藤文雄の共用の部屋であつたが、当夜は文雄は社長の橋本藤作宅へ泊まりに行つていたこと、同夜午後10時半ころ従業員の井上利喜雄が被告人の部屋に立ち寄つたさい被告人は一人で部屋にいたこと、火災が鎮火しかけたころになつて被告人が火災現場にパジャマ姿でいるのが目撃されていることは明らかである。そこでその間の被告人の動静について検討してみると、被告人は井上がきたときはパジャマを着ており、省吾が寝た午後10時45分ころはまだテレビを観ていたこと、被告人の部屋のガラス戸は開いており、カーテンは閉まつていたこと、その後夜中にサイレンが鳴つて火事を知つた省吾が松浦をおこして外に様子を見に行くときは、被告人の部屋のガラス戸は依然開いていてカーテンは閉まつており、部屋の中は暗く被告人は出でこなかつたこと、省吾が着がえのため二階に戻つてきて階段の一番上あたりで「店が火事だ」と大声で被告人に叫んだのに被告人の部屋からは何の反応もなかったこと等の状況が認められる(以上原審第3回公判での証人佐藤省吾、同第4回公判での証人松浦光男、同第6、26回公判での証人岩崎和一、同第6回公判での証人井上利喜雄の各供述)。被告人は原審(第28回公判)、当審(第2回公判)で、省吾の「火事だ」という声で目が覚め、パジャマのまま表に出て火事を確かめた後、工場の中でバケツか何かを探していたところ省吾が飛び込んできて「なんだ、なんだ」といってそばに行つたら、「消火器だ」というので「そうか」といって探した、門のところまで出ると消防車が停つていて「ここを開けろ」といわれたので2、3人の人に手伝つてもらつて門の大戸を開けた、それから松浦と一諸にホースをもつて消火栓まで引張つた旨供述するれけれども、他の従業員の供述(前示4名および原審第6回公判での証人村松喜作の供述)を総合すると、工場の門を開けたのは、松浦と岩崎であり、ホースを出したのは省吾、松浦、村松であって、それらの作業には被告人は関与しておらず、またそのころ工場前付近、火災現場付近にも被告人の姿は見かけられなかつたこと、その後鎮火しかけたころになつて物干台に上がつているパジャマ姿の被告人あるいは被害者宅裏出入口付近にいた被告人が多くの者より確認されているにすぎないこと、そのさい被告人は頭から水をかぶつたようにぬれていたことが認められる。また被告人の部屋から階下に通じる板の間を出入すると足音は多少するが、大きくはなく、普通に歩いても感じとれるほどではないこと(原審第26回公判での証人佐藤文雄の供述)、しかもガラス戸は開いており、被告人が深夜部屋に出入りしたとしても向いの部屋で寝ていた省吾らが気づくとは限らないこと、宿直室は送風機の近くで一晩中騒音があり工場出入口にくぐり戸から静かに出入りすれば宿直者にも気づかれない可能性は大きいこと(原審第6回公判での証人岩崎和一の供述)等の事実も認められる。以上の事情に徴すると、被告人の弁明をそのまま信用し、被告人が犯行時自室で寝ていたと認めることは困難である。論旨は理由がない。

第4 検察官調書の任意性について

(弁護人の控訴趣意第2点、被告人の控訴趣意第24、25点)

所論は、「原審が被告人の司法警察員に対する供述調書28通について任意性に疑いがあるとして、また検察官に対する供述調書16通について起訴後の任意捜査としての取調でないとして、これらを排除したのは当然であるが、9月9日付の検察間調書1通の任意性を認めたのは不可解・不合理である」と主張する。そしてその論拠として、検察官は警察の従来の苛酷な取調とその威圧を背景に取り調べたものであること、検察官の取調場所は同じ警察署内で、その調書の内容は司法警察員調書のそれとほぼ同様であること、当時被告人は、連日の長時間にわたる取調で心身ともに疲労困ぱいし、検察官に誘導されるまま事実に反することを答えざるを得ないような心境・立場にあつた事、前後の調書総ての任意性を否定しながらその中の1通の調書についてだけ任意性を肯定するのは不合理であること等の事実を指摘する。これに対し検察官は、警察の取調は、被告人の健康状態に留意しつつ行なわれ、その過程で暴行、脅迫などが加えられた形跡はないこと、取調に長時間を要したのは、被告人が証拠を突きつけられ、供述の矛盾を突かれると黙秘するので、これを説得し真実をいつてもらうためであつたこと、自白すれば極刑に処せられるおそれのある事案について自白するのは容易ならぬことであり、自白したのちもこれをひるがえす例が珍しくないのに、被告人は自白後の何回もの取調過程で1度もそのような態度に出ていないこと等の事実をあげ、司法警察員調書についても任意性に疑いはない、いわんや、検察官である旨を明らかにして取調が行なわれた検察官調書については問題はないと主張する。

このように双方の主張は鋭く対立し、各主張を裏づける被告人の供述と検察側の証人の供述との間にも大きな相違が見られる。思うに重大事件の取調にあたり、被疑者ができれば言いのがれしたいと思い、検査官ができればその自白を得たいと考えるのは人情であり、両者の立場はしばし真向から対立する。またこの立場の相違は、取調状況などについてそれぞれの法廷供述の内容にも微妙な影響を及ぼすことが多い。被疑者の黙秘権が認められているのは事実であるが、被疑者を逮捕・勾留して取り調べることが許されているのも事実である。そしてこの取調の過程で得られた自白が立証上相当重要な意義をもつ訴訟の現実も否定できない。このような状況のもとにおいて取調の時間・方法がどの程度に至つたとき供述の任意性に疑いを生ずると認めるかは、微妙な問題であり、ここに原審以来弁護人の主張と検察官のそれとが鋭く対立するゆえんがある。原審は、司法警察員取調書については、連日平均12時間に及ぶ密室内の取調という理由で、9月9日付以外の検察官調書については起訴後の勾留被告人に対する取調が任意捜査としての要件をみたしていないという論拠で証拠能力を認めなかつたが、この趣旨は、疑う余地のない取調の外形的事実に着目したもので、人権および公正手続きの保障という刑訴法の根本理念に照らし軽視することは許されない。しかも本件が被告人控訴の事件であることを思えば、原審が証拠能力を否定した各供述書については、当審でもその判断を尊重し、これに従うのが相当であると思われる。

9月9日付検察官調書の任意性については、取調場所が司法検察員のそれと同じであるとはいえ、原判決も説示するように、検察事務官を立ち会わせただけで司法警察員は立ち合わせていないこと、検察官は取調にあたり被告人に「警察と検察庁はちがうのだから警察の調べに対して述べたことにはこだわらなくていい」旨あらかじめ注意していること、司法警察員に対する自白調書を机上に出して参考に供していたものではないこと等の事情が認められるほか、検察官調書の内容は、それまでの司法警察員調書の内容をくりかえし、あるいは要約したに過ぎないもにでなく、それなりに独自の供述部分をふくんでいること(たとえば、持ち出した布小袋をどのようにして持つていたかについては司法警察員調書での説明と異なる。また8月31日の検察官の調書ではそれまで警察官には述べていなかつた手拭の点の供述をするなどしている。原審第25回公判での証人吉村英三の供述)、また、実質的にみると、被告人の司法警察員に対する供述調書にも誘導によるのではないかとみられる部分(たとえばパジャマを着て犯行に及んだという点)がある反面、誘導によつては引き出しがたいと思われる部分(たとえば松下に本件で入手した金のうち5万円を預けたと思われる点。弁護人は被告人の自白前から検察官は松下が被告人から金銭を預かつたのではないかと疑い、捜査していたと主張するけれども、その金額まで推測し、誘導することは難しいと考えられる)もすくなくなく、その供述の総てが司法警察員の想像・推理を背景にする威迫ないし誘導によつて得られたものと断ずることは困難であること、被告人は原審公判では検察官が「2年でも3年でもいうまでは出さない」「君の体は僕が預かつている、刑事たちも僕の指示で動いているんだ」というので、警察とは別のこわさがあつたというが、被告人はそのころ弁護人とは3回接見し、延長された勾留の切れる時期も知つていたのに、弁護人にそのようなことを訴えた形跡はなく、延長期間の切れる前に自白していること、被告人のいうところでも、検察官からは脅されたとか、乱暴されたとかいうことはなかつたこと(原審第22回公判供述)、被告人は、自白すれば極刑に処されるかもしれないと知りながら、その後も一貫して捜査官に自白しつづけ、1度もこれをひるがえそうとしていないこと等の事情も認められる。これらの事情に徴すれば、原審が起訴後の検察官調書の証拠能力を否定したのは、公正手続の保障という点に主眼を置いた結果と思われるばかりでなく、かりに司法警察員の取調に被告人に威圧を与えるような不当な点があつたとしても、これが検察官の取調のさいにも強く影響しているとは認められない。したがつて原判決が被告人の供述調書中、9月9日付の検察官調書にだけ任意性があるとしたのは別に不合理ではない。総旨は理由がない。

第5 検察官調書の信用性およびその他の注目すべき点について

(弁護人の控訴趣意第7点、被告人の控訴趣意第7、8、10、11、

14、19、23点)

所論は、原判決が被告人の9月9日付検察官調書の内容は不合理ではなく信用性が高いと説示した諸点について、種々反論し、原判決には審理不尽、経験則違反、訴訟手続の法令違反や事実誤認があると主張する。

たしかに右検察官調書の内容は、パジャマを着て刺切傷の犯行におよんだとする点等に明らかな虚偽があるが、この点については味噌タンク内の衣類が未発見であるのを幸いに被告人が捜査官の推測に便乗した形跡があり、これを根拠に調書全体の信用性を否定するのは相当ではない。また藤雄との格闘のさい腿や向うずねを蹴られたとの自供内容(右検察官調書、司法警察員岩本広夫に対する9月6日付供述調書(1))に相応するように事件後の9月8日には、被告人の右下腿中央から下部前面に四か所の比較的新しい打撲擦過傷が認められた(木村和夫作成の9月9日付鑑定書、司法警察員森田政司作成の9月8日付身体検査調書、右両名の原審第12回公判各供述)うえ、事件後約1年2か月たつたころ発見された鉄紺色ズボンには、左右前面に数か所の損傷、特に右足前面の下から約22センチのところに2.5×4センチの大きさの裏地にまで達するカギ裂きようの損傷があつたこと(司法警察員春田作成の昭和42年9月4日付実況見分調書)、強取した現金のうち、5万円を松下文子に預けたという自白(右検察官調書、司法警察員住吉親に対する9月6日付供述書)、の数日後に、清水郵便局でほぼ同じ金額の現金の入った清水警察署あての封筒が発見され、差出人は松下であるとの疑いが強かったこと等の有力な裏づけも存在する。さらに兇器を購入し、あるいは左中指に傷を受けた経緯、工場の風呂場への出入り、布小袋3個の強取のてんまつ、混合油を運んだポリ樽等についての供述も遺留品、焼死体の状況、建物の構造などの客観的状況と符号しあるいは矛盾ないものである。なお犯行の動機、侵入経路、脱出口、手拭の血痕付着、雨合羽着用等についても、以下に述べるように被告人が犯人であると認めるについて特に不合理な点は存在しない。

 以上に徴すれば、すくなくとも被告人が本件犯行を犯したという点およびその犯行の大筋については十分に信用できると認められる。論旨は理由がない。

(1)動機等について

所論は、本件の約2か月前に突然被告人の父が脳溢血で倒れ、母がその看護にあたることが絶対に必要になり、母と子3人でアパートに住む計画は放棄されたから、アパートを借りるための資金が欲しかったという自供は信用できないという。

しかし父親が倒れたにしても、同人は約11年前に同じ病気で倒れて以来不自由な体であつたし、3人で住む話自体確定的なものではなく、近い将来3人で住む可能性は依然残つていたと思われること(袴田ともの9月16日付検察官調書、西尾と志子の9月16日付検察官調書等)、被告人は時々近所の質屋に通い(原審第9回公判での証人杉本紘子の供述)、会社からも4月22日に3000円、6月17日ころに子供が交通事故にあつたと嘘をいつてちえ子から1万円を借りていること(原審第8回公判での証人市川進の供述)、食費等を差し引かれて月給は2万2、3000円であつたが、そのうちの1万円を子供の養育費として渡していたこと(右市川供述、袴田ともの8月18日付司法警察員調書)、3月から4月末までバーホステスの乗松純と交際し数回旅館に泊るなどの出費があつたうえ、同女に対し「ゼニもうけしなきや」等と金を欲しがつているようなことをもらしていたこと(原審第22回公判での証人滝沢純の供述)、4月中旬ころ従業員の橋本操らに対し冗談話とはいえ「松下(幸之助)のじいさんをうしろから襲つてやれば金がとれる」とか(原審第9回公判での証人橋本操の供述)、5月ころ水田義高に対し専務の持ち帰る袋の中味をきき「結構入つているじやないか、一発蹴りやのびてしまう」などと話していたこと(原審第8回公判での同人供述)、専務が自宅の仏壇のあたりに会社から持ち帰つたじんきち袋を置いていたことは被告人も十分に知つていたこと(原審第3回公判での証人佐藤省吾の供述等)、被告人は賭け事が好きであり(右橋本供述、原審第22回公判での証人袴田レイ子の供述)、別れた妻に金を渡すことを考えていたのではないかとうかがわれる点もないではないこと(右橋本供述、原審第12回公判での証人黒柳美代子の供述)等の諸点に徴すれば、被告人が金欲しさから犯行に及んだ疑いが強く、自白にいう動機もさほど不合理なものとは考えられない。

(2)雨合羽について

所論は、パジャマのうえに雨合羽を着ていつたという自白について、パジャマは白っぽく人目につきやすいからという理由は否定されたし、味噌タンクから発見された衣類を着ていつたというのであればわざわざ雨合羽を着ていく必要はない、したがつて被告人は雨合羽を着ていないと見るべきであるという。

しかし検察官も指摘するように当初犯人が雨合羽で体の線をかくそうと考えたとしても不合理ではないし、ごわごわ音がするので現場でぬぎすてたとしても不自然ではない。いずれにしても犯人が雨合羽を着て被害者方中庭に侵入したことは疑いなく、雨合羽の存在が被告人が犯人であることと矛盾するものではない。

(3)侵入経路、脱出口について

被告人の自白によると侵入については、裏口近くの鉄道の防護柵を乗りこえて木に登り、屋根にあがり、中庭に面した土蔵の屋根の庇に移動し、そこから水道の鉄管を伝つて中庭に降りたとなつていることについて、原判決は実験したところ右のような侵入は可能であつたし、右侵入経路の実験(実況見分)の前に被告人は自白したから自白の信用性はかなり高いと判示している。これに対し弁護人・被告人は、右の鉄管はぐらぐらしていて固定されていないから、これに手をかけておりることは不可能であるし、実験前から捜査官は侵入経路についてあらゆる方法を十分に検討しているはずであるから自白の信用性が高いとはいえないと主張する。

たしかに捜査官は現場の状況から中庭に降りる方法についていろいろ検討し想定していたと思われる。したがつて実況見分されていたのが自白以後であるというだけで自白の信用性が高いとまではいいがたい。しかし鉄管については事件前は針金でしばつてあつてぐらぐらしていなかつたいう証言もあり(原審第7回公判での証人山西勝太郎の供述)、自白のような経路、方法で中庭に侵入することが不可能であるとは認められない。これも一つの侵入方法として首肯できる。また隣家の犬の存在がこのような侵入方法を妨げるものとも思えない。

脱出口について、原判決は、裏出入口の棒を右によせ、下の鍵を開けて引張つたところ、下の方が出入りできるくらい開いたのでそこから外に出て、再び同所から混合油を運び入れた旨の自白について、裏出入口の上部の鍵はかかつたままの状態で現場から発見されたこと、火災発生直後右の扉は10センチから2、30センチ開いていた、あるいは上よりも下のほうが広く開いていたという目撃者が多く、その後消火がすすんだとき右扉はしまつており、これを蹴つたところ扉の内側には瓦や壁土などが約30センチの高さに積り、当初少し開いていた扉が落下物のため押されてしまつたような状況であつたこと、捜査官が実験したところ自白のような脱出方法は可能であつたこと等を論拠に被告人の自白はかなり信用性が高いと説示したいる。右のうち捜査官の実験と自白の前後については侵入経路と同様のことがいえるほかは、原判示の説示は相当である。特に裏出入口の扉は普段はぴたりとしまつていて目撃者のいうようなすき間がなかつたこと(橋本登美子、山西勝太郎の原審第7回公判各供述、橋本昌子の10月5日付検察官調書)に徴すれば、本件犯行のさい無理に開かれた可能性があると認められる。またかんぬきの棒は西側の扉の方で二つに焼け折れていたと認められるが(黒柳作成の7月20日付検証調書写真54、55、56)、犯人が扉の上方の鍵をはずさないまま出入することも、当時の興奮状態からみて経験則に反するとまではいえない。

なお侵入経路、脱出口に関連して弁護人は当夜表に面したシャッターの鍵がかかつていなかつたから、これが使用された可能性があると指摘する。前夜昌子がシャッターを上げようとしたがあがらなかつたのに、本件火災のさいかけつけた近所の人がシャッターを引きあげたところ開いたことは間違いない。しかし火災のさいかけつけた人がシャッターの鍵はしまつているものと考えてどんどん叩いたり、丸太でこじあけようとしたりしたから、鎮火後の検証のさいの鍵の状況(東から二枚目のシャッターの片方の鍵はこわれていたことやボルトの関係)等に徴し、その間に鍵がこわれたり、偶然に開く可能性もないではないこと(橋本幸三の7月3日付司法警察員調書、中沢良平の司法巡査、検察官調書、岡田宏の司法警察員調書、原審第2回公判での証人深沢守一、同小川弁一、同第6回公判での証人井上利喜雄の各供述)、またシャッターは表通りに面しており、開けると音がでるから、ここから犯人が侵入・脱出する可能性は常識的に考えても低いこと、現に隣家の小川荘作は犯行当時シャッターの開閉するような物音は聞いていないこと(同人の7月15日付および8月17日付司法警察員調書、検察官調書)等の状況に徴すれば、右シャッターが侵入・脱出口である可能性はうすい。またこの点をどうみるかは、原判示犯罪事実の認定に影響を与えるものとも考えられない。

(4)手拭の血痕について

工場内で発見された手拭(符号3)に被告人の血液型ではなく被害者の血液型に一致すAB型の血痕が付着していた点については、たとえば血染めの着衣を着がえる時に手を介して被害者雅一郎のAB型の血液とがまじつて付着したようなことも想定されるから、この点は犯人が被告人であることと別に矛盾するものではない。

(5)現場の特異な状況について

弁護人は、扶示子がブラジャー、シュミーズを、また雅一郎が胸ポケットにシャープペンシルを入れた白ワイシャツを各着用していたうえ、奥応接間のテーブルにはアンテナが引き出されスイッチも入つている状態のトランジスターラジオが置かれていたことや昌子が旅行から帰つてきたのに家に入れていないこと等からすると本件犯行は原判決の認定と大きくかけはなれた内容であることが明らかである、また扶示子の死体の下には「額」、その下には「生理用パンティ2枚」および「マッチ軸木5本」が焼けないで発見された状況は自白とは大きくくい違つていると主張する。

しかし昌子が旅行先から帰つてきた29日午後10時10分ないし15分ころは既に藤雄とちえ子および雅一郎の寝室は電気が消えて寝ている状況であり、昌子が帰つてきたことを知つて父親の藤雄がシャッターの内側まできたものの声をきいただけでシャッターを開けなかつたのは、格別不自然とも思われないし(橋本昌子の司法警察員、検察官調書、同女の原審第27回公判供述および当審尋問調書)、当初試験を控えていた雅一郎が勉強に疲れてワイシャツ姿のまま、トランジスターラジオのスイッチを切らずに寝込むことは十分にありうることであるし(滝博行の司法警察員調書)、扶示子の寝室のピアノの間の布団の近くには扶示子のものと思われる衣類が置かれていたから同女は明らかに寝ていたと思われる。ブラジャー等を着用したまま寝るのが特に不自然ともいいがたい。また生理中であれば布団のそばに生理用パンティを置いたまま寝ることも十分に考えられる。現に扶示子使用のタンスの中には同女のものと思われる汚れた生理用パンティが多数入れられていた(前示春田作成の検証調書)。額等が落ちているのは受傷の前後に何らかの動きがあつて壁にかけられていた額が落ちたものと思われる。現に隣家の小川荘作は被害者宅の方からドシンドシンという物音およびにこれに続いて物が畳の上にくずれるようなガラガラという音を聞いている(同人の右各調書)。また藤雄、ちえ子の衣類が布団の近くで発見されたから両名が就寝していたことも疑いがないと思われる(右検証調書)。以上の事情に徴すれば、本件犯行が原判示のような犯行態様とは全く異なつたものであると考えることは困難である。

(6)被告人の金銭費消状況について

弁護人は、本件犯行によつて取得した金員の一部を使用しなくても被告人の資金繰りは説明できるから自白は信用できないように主張する。しかし、弁護人・被告人のいうように昭和41年6月19日当時被告人が5000円程度所持していたことを前提に8月18日までの金銭出納状況を検討すると、収入金については、6月19日ごろ所持金5000およびちえ子からの前借り1万円、7月1日給料2万3949円、7月12日ボーナス2万円、7月30日給料2万3366円の合計8万2315円、これに対し支出金は、母親袴田ともの供述(8月18日付司法警察員調書、9月6日付検察官調書)により明らかな7月2日養育費1万円、7月17日養育費(ボーナス支給による分)5000円、8月13日養育費5000円、ちえ子から借りた分の返済7月2日1万円、逮捕時(8月18日)の所持金1万4000円のほか、被告人の司法警察員に対する9月24日付供述調書末尾添付一覧表の支出があつたとすると(ただし樽の下から出して松下文子に預けたという5万円および使途不明金2135円を除く)合計九万4780円となり、正当な収入額をはるかに(1万2465円)上まわつていることになる(右一覧表の支出については実家に帰つた時のみやげ代、交通費、武久そば屋での飲食代、従業員と外出した時の買物や出費、理髪代、煙草代、薬代等その大部分は第三者の裏づけもあつて相当根拠のあるものであるが、特に問題と思われる6月23日の静岡に出てキャバレーで飲んだという合計2890円、7月21日の分のうちトルコ風呂に行つた分という3390円を差し引いても、まだ収入を上まわつている。なお原審第13回公判での証人米津五六の供述参照)。したがつて弁護人の主張のように正規の収入だけで被告人の支出のやりくりがついていたとは断定し得ない。また被告人は本件で取得した現金を工場内のC温醸室の味噌樽の下にかくした旨自白していたが、これは7月4日の警察の捜索のさい発見されなかつたからといつて自白調書全体が信用できないとはいいがたい。

(7)パジャマの血痕付着について

すでに述べたように被告人のパジャマに被告人以外の、しかも被害者2名の血液型に一致する血痕が付着していたことは明らかである。その理由についてははつきりしない。しかし可能性としては、味噌タンクから発見された衣類に大量の血痕が付着していたから、これらの着衣を脱いでパジャマに着がえる時に手を介して付着した可能性、脱いだ衣類を持ち運んだときにパジャマに接触して付着した可能性、パジャマ姿で被害者らに混合油をかけ放火した時に何らかの事情で現場の血痕がついた可能性(特に右膝部分)等が考えられる。

第6 結論

以上の諸事情、特に、犯人が本件刺切傷の犯行時に着用していたと認められる鉄紺色ズボンが被告人のものと断定できること、このズボンと同時に発見された緑色ブリーフ、白半袖シャツその他の衣類も被告人のものである疑いが強いこと、被告人の右上腕前部に傷痕があり、これが犯行時に着用していたとみられる白半袖シャツの右袖上部の損傷に概ね一致し、しかもその損傷部位に内側からにじみ出た状態で被告人の血液型と同型の血痕か付着していたこと、被告人の右下腿中央から下部前面に打撲擦過傷痕があり、鉄紺色ズボンの右足前面下部にもそれに相応するような損傷があること、本件の直後被告人の左手中指に鋭利な刃物によると思われる切創があることが判明したが、これは犯行のさい受けた疑いが強いこと、被告人のパジャマに被告人以外の、しかも被害者らの血液型と合致する人血および放火の用に供された混合油の付着が認められ、これについて合理的に弁明できないこと、被告人には犯行時のアリバイはないこと等の事情を総合すれば、本件住居侵入・強盗殺人・放火の犯人は被告人であると断定することができる。被告人の検察官に対する9月9日付自白調書の内容は、犯行のさいパジャマを着ていたとの点およびこれに関する供述部分を除き、大筋では犯行現場の客間的状況、種々の遺留品などにも矛盾せず、かえつてこれらを合理的に説明するのに役立つと認められる。論旨はいずれも理由がない。 そこで、刑訴法396条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法181条1項但書に則りこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

昭和51年5月18日

   東京高等裁判所第2刑事部 

   裁判長裁判官  横河 敏雄

   裁判官     柏井 康夫

   裁判官     中西 武夫